地域の〈いま・ここ〉

 ワイがガキの頃の岡山県北の山間部ど田舎だと家に鍵は付いてない、赤子が一人で家で泣いてるのを近所の人が聞きつけて勝手に家でその子の世話をする、子供がよその家に上がってご飯をいただく、幼児の子育ては爺さん婆さんの役目、ガキでも農業機械動かしてるの世界でそれが30〜40年前まで当たり前


 それが今では、ワイが大都市とど田舎の二重生活で子育ては都市圏になってるんだけど、ど田舎ですら核家族というか晩婚で子供がいるけど爺婆が80前でクルマ乗れない世話できないなんなら介護で、やってることが都市圏と同じでメチャクチャしんどい。これは逆に子育てのために都市に行くわな


 社会生活のためのシステムがあまりにも高度化しすぎてて、今までなら岡山県北ど田舎で余裕で生き残って子供を大学に行かせて農機具一千万単位で揃えてたボーダーの家族の生活が完全に破綻してる。かつて金持ちで破綻した家の跡が大量にある。すでに田舎の社会生活レベルでもある程度の知的水準が必要


 田舎と都市を行き来しつつ大阪神戸広島の地場生活と関わりながら世の中見てると、育児云々だけでなく、一人一人に要求するレベルがあまりにも高くなりすぎてる上に人との関わり方がなんか変になってて、ワイが子供の時にしたされた、他人の家の赤子を勝手に家に入ってあやしてあげる世界観なんか無理


 自民党とか保守な人が家族や地域との関わりとか言うけど、ホンマにそれを言うのなら、普通に鍵のかかってない他人の家に入ってそこで一人で泣いとる赤子の世話をすることになんの抵抗もおかしいと言う気持ちもないという世界観を復活できるんか、という。それができないなら、それはもう無理なんよ