思想史という枠組み、80年代的状況、他・メモ

 80年代というのは未だ「戦後」のまっただ中だったんだなあ、と改めて思う。

 高畠通敏とか、津村喬とか、当時の「毛派」「文革肯定派」の論調というのは、今から省みると本当に噴飯もので、それは単なる後知恵で糺弾するからというだけでもなく、シナの文革が「個人」の解放につながっている、しかるにニッポンは、という調子で一貫していて、まさに伝統芸健在、という感じなのだ。

 日本はダメだ、欧米は「個人」がいて正しい、という枠組みは、表立ってそう意識しなくてもいい程度にすでに民話化している。それは「学校」とその周辺に色濃く伝承されていて、そのような「知識人」「インテリ」「優等生」カルチュアとしての、堕落した近代主義というのがひとり、歩き回っている。

 「東大クン」と揶揄していたのは、そのような気分に無批判なままどっぷり浸っている手合いをさしてのことだった。そして、そのような気分はネットを介してまだ生き残っている部分があったりする。アルファブロガーだの、ネット言論だのと言挙げして鼻の穴ふくらませている手合いに感じる、何とも言えないやりきれなさというのは、かつての「東大クン」のやりきれなさのさらに頽廃形態、ここまで落ちぶれるのか、といった嘆息混じりの感懐なのだ。

 それは「思想」だの「言論」だのといったもの言いに、うっかりと血圧あげてしまうような傾きを持っている不自由、とも通じている。かつて浅羽通明ならば「プチインテリ」などと呼んだだろう層が、今世紀に入ってさらに分解、広く薄くある種の微妙な空気としてのみ漂っている。

 思想や言論の抽象性を〈リアル〉の側から中和しながら血肉化してゆく、それをしてゆくために民俗学というのはひとつ足場になり得た。この戦略自体は今も立派に有効だと信じている。

 眼前に広がる〈いま・ここ〉の、個別具体の水準から極力離れないように、ことば自体をその水準に就けながら制御してゆく術を自分のものにしてゆくこと。「勝てないけど負けないことば」にとどまり続ける胆力というのも、そんな過程からいつか見えてくるだろう、と思っていた。

 方法としての民俗学、というのは、抽象度の高い「概念」「観念」による「思想」「言論」の水準が勘違いと共に立派に成り立っていた情報環境において、確かににぶく輝いて見えた。

 そのカウンターを当てるべき足場としての「思想」「言論」自体がグズグズに溶解してしまった現在、ならばなお、どのように方法としての民俗学があり得るのか。個別具体、と言うことがそれ自体として民話と化してしまうことが平然と起こり得るからこそ、

 定地稲作農耕がすでに過去の物語になり、過疎すら生やさしくなり、限界集落などということも遍在している。「ムラ」を前提にした方法論にのみ依拠してきたような民俗学は(それが全ての可能性ではなかったことは言うまでもないが)、とっくの昔にひからびてしまっている。

 あり得るとしたら、すでに〈書かれたもの〉としての民俗学をテキストとして取り扱いながら新たな生産に結びつけること、くらいだろう。具体的には、たとえば近世から近代にかけての歴史について、より立体的な陰影をつけてゆく場合の役に立つレイヤーとして、民俗学とその周辺が蓄積してきた〈書かれたもの〉は有効だろう。柳田國男のテキストでさえ、今もなお有効だと思う。その程度のことすらしなくなったいまどきの文科系の知的怠惰と鈍感については、これくらいの批判は投げておかねばならない。

 「ムラ」の自治、それこそ明治初年あたりまでの「篤農家」的なソリダリティの意識というのは、ならば〈いま・ここ〉でどのように復権できるのか、ということになる。

 コミュニティ、というもの言いが未だついに日本語としてうまく置換できていないこと。ましてや、高度経済成長以降の「豊かさ」の中で、都市的生活を送る者が住所がどこであれ多数派になってしまった現在、どのようなコミュニティの内実に伴う「場」があり得るのか。