わが民俗学手習い・メモ

 田中克巳がいた。南博にも教わった。神島二郎にも。民俗学では平山敏次郎もいた。もちろん、多くはすでに功成り名を遂げた後の客員扱いだったり、本務校があっての出講だったりしたのだが、考えれば、結構豪華な教師陣だったことは改めて思う。

 神島二郎の講義は、もちろん『近代日本の精神構造』の講読だった。しちめんどくさい本だなあ、としか思っていなかったのは若気の至りとしか言いようがなく、汗顔至極だが、

 佐々木宏幹の宗教人類学も聴いた。森岡清美もいたぞ。好きにはなれなかったけれども。石川弘義もいた。なんだ、ほんとに豪華版じゃないか。

 田中克巳はすでに老境で、どう見ても元気のいいご老体だったけれども、大学院の面接試験で朗らかに声をかけてくれたのを今でも覚えている。キミはワセダか、ボクもよそものなんだ、と。戦前派のインテリ特有の人の良さ、磊落さを感じた。いや、それは後づけの解釈で、当時はそんなことことばにできなかったけれども、しかし、ああ、いいジイさまだな、とは間違いなく思った。平山敏次郎と共に、

 コギトの同人で、保田や富士正晴の盟友で、なんてことは露にも知らなかった。東洋史、中国文学の専門家だということだけだった。院に入った翌年にもう退官されたから、実際に講義を受けたことはないままだったけれども、野口さんなどの口吻から、尊敬され、愛されていることは間違いなく伝わっていた。

 こう思い返してみると、思想史の端っこに足を浸していたことがわかる。

 民俗学のその「通俗」さに、辟易したというのがひとつ、確かなことだった。教育大体制、と当時から目の敵にし始めていたけれども、それは何も民俗学に限ったことではなく、文化としての教員、それも初等中等教育を殊とする教員たちの共有するミリューといったものが、民俗学の組織を介した来歴に色濃く保持されていた、そのことに対する違和感である。

 あまりに俗だった。くだらなかった。傲慢に言えば、アタマ悪すぎ、だったのだ。どう見ても。

 「都市民俗学」を取り上げた時も同じだった。逆に言えば、その「通俗」さへの反感、違和感の発露を、宮田登などは政策的に見ていたのだろうと、今になって思う。しょせん教育大体制の内側での従順な分子しか出てこない、それが自分の部隊であるとあきらめながら営んでいた日常に、明かに「外部」から珍妙な物件がまぎれこんでかきまわしている。

 「ムラ」とは何か、ということを真剣に議論するような雰囲気がまだあった。
 実際、その程度にまだ民俗学は「ムラ」に依拠していたのだろうし、それが当たり前のものとして共有されていた。

 「都市民俗学」というもの言いに夢見たものは、現代社会を民俗学の間尺でどのようにとらえるのか、という問いだった。そんなもの社会学でいいじゃないか、という反論もあり得た。

 社会学、地域史、民衆史、思想史、ジャーナリズム……などなど、いずれにしてもマクロでなくミクロで、なるだけ等身大のところで現実と対峙し、その結果何らかの〈リアル〉をアウトプットしてゆくような手癖の学問領域ならば、何でも民俗学の、正確に言えば自分の夢見ていた「都市民俗学」に益するものとして考えていた。

 同時代の眼前の〈いま・ここ〉から〈リアル〉を蒸留させて、できる限り散文によってアウトプットしてゆく、というのが基本線だったように思う。
 だからこそのエスノグラフィーであり、民俗誌であり、ノンフィクションであったのだ。

 「ムラ」は初手から異物だった。

 郊外育ちで転勤族で、という属性は、高度経済成長期第一世代としてはあるボリュームを伴って出現し始めていた層のものである。

 酒もタバコも、バクチもオンナも、みんな「ムラ」と同じように異物としてあった。

 そのようなものになじまなくても構わないような生き方をできてきた、ということを勘案してもなお、最も初発のところで個人的性癖として、そのようなものになじめないもの、というのを抱え込んでいたのは確かだった。

 その感覚は同時に、たとえば少女マンガに比較的早くから引き寄せられたり、といった性癖ともどこかで関わっている。「フェミニン」などとくくってしまえばまた違うものになってしまうのだが、だが、ある部分でそのようにくくられても仕方ないようなものでもあった、ということだと思う。言い換えれば、その「フェミニン」と〈いま・ここ〉でくくられる何ものか、というのも、その来歴を静かにほどいてみるならば、その中に簡単にジェンダーに還元してしまうわけにはゆかない成分がかなり含まれていることに気づくはずだ。

 ということは、民俗学が当たり前のように教えてくれることになっていたような「日本」というもの自体、初手から異物だった、ということでもある。そう、異文化だったのだ、すでに「日本」は。少なくともそう考えることがひとまず方法的な明快さを導き出してくれるだろうという程度に。

 「昭和」といま、言われるようなくくり方は、そのような異物としての「日本」の現代的な表現である。(玉城 哲「日本的近代の相克」『現代思想』4-7  1986年)