団塊の世代の、特にプチインテリ層 (関川夏央ならば「知的大衆」と呼ぶかも知れません) 特有の世界観や価値観、というのは、そろそろまともに、言葉本来の意味での「歴史」的な文脈での考察対象にしておいた方がいいと思われます。
単なる「サヨク」だの「リベラル」だのとひとくくりにしているだけでは、どうしてそのような発想に落ち込んでゆくのか、その仕組みが見えないままだし、何より現われだけを軽侮して終わってしまいます。
ブロガーなどにわかりやすく見られますが、やはり何というか、「サヨク」「リベラル」系のもの言いや発想、価値観などが、すでにあらかじめプラスの評価として固定されている、そんな代物です。
それは言葉によって表明される思想や信条、ものの見方や考え方などに自分も同調する、という次元の手前で、そういう言葉によって何ものかを表明すること、それ自体にあこがれて発情してしまっている自分がいる、という状態がある、ということです。そして、おそらくこっちの方が本質的な問いに直結するのでしょうが、そういう自分の状態をご本人はまず自覚していないということです。それは、自分の性的領域をうまく自覚できていないまま、脳みそと下半身とが分離したまま、時代と情報環境によっていたずらに肥大し続ける「自分」を支えてきた、団塊の世代特有のエロスとアイデンティティのあり方にどこかで規定されているように思えます。
自分が何に、どのような方向で発情しているか。ここでの文脈に即してひらたく言い換えれば、どういう言葉やもの言いに無条件で(・∀・)イイ!!と思ってしまえるのか、そこらへんをカッコにくくる性癖を棚に上げたまま、その(・∀・)イイ!!の方向性にまっしぐらに合理的(笑)に猪突猛進してゆく、それを「情熱」と言い、あるいは「純粋」とだけ呼びならわしてこと足れりとしてきたある世代までの「文化」と関わってくる問題ではあります。
「サヨク」「リベラル」系のもの言いや発想、価値観などが、ならばなぜ、どのような経緯でそのように無条件に発情を促すような存在になっていったのか、それこそがおそらく、本質的な意味での「歴史」の問いであるはずです。そして、そのような存在になっていった過程で、どのように無自覚のまま「自分」という意識がそれらのからくりの中でからめとられ、構造的な不自由の中に眠り込むようになっていったのか、ということを問うことにもつながるはずです。
自分の発言や書いたものが、ある種の人たちにとって生理的な嫌悪感を抱かせるようなものであることには、だいぶ前から感じられていました。まずわかりやすく言えば、いわゆる「偏差値優等生」たち。彼ら彼女らが波乗りのごとく乗ってきた、その前提をまるごと疑うようなもの言いをすることが、その嫌悪感、反感の根源だろう、と素朴に思ってきました。「品性が下劣」「下品」「アタマが悪い」といった系列の罵倒や嘲笑のもの言いは、そのような脈絡では定番になっていて、それらはweb環境においてさらになめらかに増幅されていった面もあるようです。
それはおそらく間違いではない。でも、それだけでもないもっと根深いものがあることに、ある時期から何となく気づくようになっていました。
この国の知性というやつが、どういう情報環境で、どういう来歴で知性と呼ばれるものになっていったのか、その「歴史」を見通す問いの視線を持ってしまったら、何もフーコーばりとは言いませんが、そのような知性の精神史、歴史学、文化史といった方向での関心が否応なしに介在してきます。そうなったら、思想や批評、論戦沙汰など、それら言葉による営みのほぼ全ての領域が、ある一定の距離感、乖離の印象を介してのみ、自分の手もとに感知されてゆくことになる。〈リアル〉の変換、あるいはそのような手ざわりのコンバートが、自分自身の内側に実装されてゆく。
「サヨク」「リベラル」系の言葉やもの言いを操り、繰り出すことは、どのような快楽、どのような(・∀・)イイ!!をある種の人々のココロにもたらすことになっていたのか。それは、たとえば少し前まで浅羽通明が「知のおたく」と称して、その「治療」のミッションを自らに課しつつひとり悪戦苦闘していたような、団塊以降、それこそ偏差値世代までは確実に「伝承」されていたある「文化」の構造を明らかにしようとすることにもつながります。
言葉やもの言いの単線的でテキストに自得した中身、意味の解釈沙汰でなく、それらと共に、同時に全く等価に、それらを繰り出す側の主体がどのようにキモチよさげなのか、どのような満足や愉快を実感しているのか、その水準での「読み」をしてゆけるような余裕と視線が必要です。
それは、「戦後」の言語空間で形成されていった、われわれの最大公約数の「正義」のあり方を、歴史的過去に織り込みながらさぐってゆくことになるはずです。
そのような「正義」が宿ったからこそ、筑紫哲也はあんな老醜をさらしながら画面に出続けていたのだろうし、本多勝一も、また。
匿名に甘んじ続けること、「名無しさん」のひとりとして、その分際において発言することの方法的な意義というのは、それら「正義」の快楽に足をとられてしまった自意識にとっては、おそらく本当の意味で理解されるようなものではなかったんだと思います。それはかつての「自立派」の「自立」だったり、あるいは「無告の民」を称揚した土着派界隈の志向などでは、結果的に乗り越えられることのなかった、知性と自意識の関わり方の位相、といった問題を〈いま・ここ〉の情報環境において、ようやく眼前に示すことのできるようなもの、かも知れません。
固有名詞抜きの〈リアル〉、を伝えることばやもの言いを、民俗学の初志として自分はこれまで設定してきました。それは民族誌的記述において、特定の場所や個人の名前、あるいは数量的な価などを「正確に」盛り込むことを窮屈に使命化してゆくことから一歩引いて、あくまでも自然言語の、母語の散文の呂律において、同時代の、そしてその向こうにいるはずのまだ見ぬ未来の読者の「読み」の水準に向けて、伝えるべき何ものか、を活けてゆけるのか、というミッションでもありました。
それは必然的に、〈おはなし〉の水準に自覚的になることをまず要求するようなものでした。民話や昔話はもちろん、都市伝説から、いわゆる大衆小説や通俗文学、マンガやアニメに至るまで、そのような広大無辺な〈おはなし〉のコンテンツをできる限り渉猟することと、そのような民族誌的記述、民俗学の本願を豊かにしてゆくこととは、自分の中では一致するもの、という信心がありました。
知性はめんどくさい。世の中で生きてゆくだけのためならば、まずほとんどムダとしか言いようのないめんどくささをうっかり実装してしまっているようなもの、です。だから人に理解されない。当たり前です。でも、その当たり前にあらかじめ甘えてしまうような自意識も、団塊の世代に象徴されるような旧世代の知性のありようには、デフォルトの設定になっていたらしい。
自分は特別である、自分のこの自意識はどこかあらかじめ不遇であり、正当な評価や扱いを受けていない、という欠落意識、知性に本質的に付随するしかない疎外感に裏打ちされた甘えの感覚が、言わば聖痕のように刻印されている。「さびしさ」とか「つらさ」とか「かなしさ」とか、「戦後」の歌謡曲などに典型的に現れるある重心をかけられた言葉の向こう側には、そのような甘えの感覚がすでに知識層を超えて大衆社会状況に流れ出してきていることをうかがわせるものです。そして、それらはもちろん、そのような自意識のままで生きてゆけるような社会的な場にたどりつけなかった場合、さらに濃厚になる。人はプライドによって生きていることの難儀はここでも深刻です。
シアワセになる、ためには、そんな自分と向かい合ってことばにしてゆくことをゆっくりしてゆくしかない。それはひとりでできることではなく、身のまわりの信頼できる関係の中で、関係ごと支えられながらようやく宿る可能性のある、そんなたよりなげな認識、であったりします。でも、ほんとにそれしかない。
思想沙汰とは、性的領域とよく似ている、らしい。うっかりと快楽であり、不用意に自意識の解放であり、無駄に執着をもたらすもの、であったりもする。ものを考える、とりわけ文字の読み書きによって自意識をこさえてきた世代にとっての思索、思考というのは、自分がなかったことにしてきてその分そこから疎外もされてきた領域と釣り合うような不自由をまつわらせるものだったらしい。
自由になる勉強、自分が自分であるためにものを考えたりする営み、というのが、どんなにことばが尽くされてこようとも、現実の現われとして困難であったことは、おそらくそういう事情に規定されている部分があります。
でも、いまや文字の読み書きだけで自分になったわけでもない世代が、そろそろオンステージになっています。デジタルネイティヴ、というのがどういう意味あいか知りませんが、そういうもの言いを弄してもいいかも知れない程度に、これまでの自意識、同じ知性ではありながら異なる「自分」をはらんだ実存が、すでに同時代のものとして呼吸を始めている。日々大学で、学生に接していて痛感することが多いのは、このような意味での「世代」であり、それらを否応なしに考慮せざるを得ないような形で大きくうねり始めているこのニッポンという社会の〈いま・ここ〉、です。