こういうスナップ写真というか「街頭」の「世相」をカメラで撮る、という発想が当たり前になっていった過程というのは、それを可能にしていった技術や環境なども含めて、ずっと気になってはいる(´・ω・`) https://t.co/FtqA8Qe9Dd
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) May 8, 2019
それこそ文字/散文による「スケッチ」「描写」やそれと並行していたはずの西欧絵画/美術的な意味での「スケッチ」的発想&技術の浸透などともからめての「歴史」過程として。「世相」「風俗」といったもの言いで合焦しようとしていった「現在」、要は〈いま・ここ〉の「記録」への欲望というか。
一点透視的視線とそれに伴う「自意識」の輪郭がうっかり確定されていったらしい過程との関わりなども。それらにカメラ以下の新たに出現してきていた「記録」デバイスが関与していったいきさつなども含めて。「自分」の周囲の「現実」がそこまで気になるようになるには、前提となるその「自分」の輪郭がくっきりしてゆくことと相関していたはずで。「スケッチ」「描写」方向への欲望の肥大と解放と、いわゆる本邦自然主義的な「自意識」「自分」の励起してゆく過程、なども視野に入れる必要と共に。