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軍備より「経済」 (中身はいろいろだがとりあえず) が大事、説は、「外交」が大事、説とセットで「戦後」的「良識」が好んで振り回してきた言説ではあり。それこそかつてのあれは吉田内閣の頃だったか、ナチスのもの言いを引っ繰り返した「大砲よりバター」以来の。「財界」と呼ばれてきたような世間や、良くも悪くもその世間の庇護の下で生きていたいわゆるホワイトカラー勢にとっての「良識」≒常識とは概ねそんなもん、だったところはあり。
でも、近年の「経済」至上主義な人がたの言う「軍備や軍事より経済背景にした外交(≒話し合い)こそが武器」言説って、そもそもその「経済」が国際的に担保になり得るほどの「強さ」を持ってないと成り立たないと思うの。いや、昨今あれこれ論われるポンニチ経済は「強い」んだ、的言説も、実はそこらへんの前提に無自覚なままな意識からうっかり出てきてたり、とか。
そういう人がた的にゃ、今回のあのゴーンのやらかし案件とか、果たしてどう説明するんだろ、と。グローバル経済が「経済」だ、てな立場ならそりゃ擁護的にならざるを得ないんかも知れんし、それもまたひとつの立場、考え方かも知れんけれども。
そもそも、そういう方向でなしくずしにグローバル化しちまったいまどき「経済」(のある部分)ってのは、「戦後」由来のその「大砲よりバター」系の安全保障論を支えるものにならんような気がするんだけれども、それもまたどうなんだろ。「経済」力を背景に「外交」で安全保障してきた本邦「戦後」のやり方、というのがどの程度本当だったのか、も含めて、それらの立場に立った言説もの言いの変遷もまた、こういう時代こういう事態になりつつあるからこそ、もう一度振り返ってみとかんとあかんと思う。*2