シュナは「変態」・メモ

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 あ~こりゃつまり、あれだ、承認欲求充足をオンナからにだけ求める、そういうヤツだ、と。それって痴漢というか、おっさんの「恋愛」厨やがな。カラダやなしにココロorキモチの充足を、ってそれ、いっちゃんタチ悪い、下半身は枯れとるスケベジジイの性癖やろ。ココロやキモチ? しらんしらん、そんなややこしいもんしらんがな、カラダだけがありゃええわ、という肉体欲求充足「だけ」の方が対応というか対処はしやすかったりするわなあ。

 まあ、おっさんに限らず♂の内面、ココロやキモチなんて定型的な図式だけでとりあえず片づけといて問題ないようなもん、だったみたいなんだわなあ、最大公約数的には。♂自身もそうだし、それを相手にせんならん側の立場でも。「そういうもん」でそれ以上は深入りしたり詮索してほどいたりはしなくていいorしない方がいい、的な。それって、♂相手にしかいわゆる水商売が成り立たん、というあたりとも関わってくるわな。

 ご当地のジイさまやおっさんら見とると、こういう「生活の古典」wがまだ眼前の生態として生きとる感、あったりする。その分どえらい抑圧あるんやろなあ、という感覚と共に。まあ、このへんは例の「エゾフェミ」問題とも関わるのだけれども、♀の側の認識が基本そうでも、日常的な立ち居振る舞い挙動としてはそれをうまくカバーする約束ごとが「オンナらしさ」とかであったりしたんだろうが、ご当地の場合、残念ながらそれも稀薄だからむき出しの「おまえのキモチなんか(゚⊿゚)シラネ」状態で、それが一見「男女平等」に見える、というめんどくさい構造が内包されてたりする。ココロやキモチってそれ自体というより「関係」によって輪郭整うところもあるから、そんな関係が日常だったら、そりゃココロやキモチも網の目粗いまんま推移せざるを得ず、ご当地のあの「なんもだよ」原理主義&留保や自省しない/できない上等、の誕生もこのへんに胚胎しとるんでないかいな、と。だから、いわゆるブンガク的土壌ってのも本来はものすごく薄いんだろう、良くも悪くも。だもんで、たまたまうっかりよそに出ていったりすると、その「関係」のありように初めて触発されて、あ、キモチやココロって実はこんな具合にあったんだ、状態になって、ある意味海外留学したポンニチネイティヴみたいなもん、「内地」に出かけたご当地♂の内面の、殊に脳ミソと下半身のつながり具合に密接に関わらざるを得ないあたりの拗れ具合ってのは概ねそんな感じらしく。
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*1:一躍アルファ垢wの一角を占めるようになったらしいシュナムル(@chounamoul)をめぐるすったもんだがらみで出てきた、とあるtweetから。

*2:あと、別方向からは「股旅物」の定型、長谷川伸以下それ系「義理人情」的ココロorキモチの解釈があれだけ広く受容されていったのも、そういう時代の変化でうっかり励起してきた部分も含めての新たな♂の内面説明/解釈する定型として便利だと感じられたから、ってのがあると思う。このへんも要検討課題ではあるのだが。