「遺族取材」の欺瞞性・メモ

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 今の若い人たちは厳しい世相で育って若いうちから成熟せざるを得なかったから、新人の頃からそういう欺瞞性が見えてしまって真に受けられないから辞めていくんでしょ。それがわからなくて「違和感がある」とか言ってるから新聞メディアが滅亡の危機に瀕してるんですよ。


 論より証拠で、新聞記者の仕事はこんなに重要で意義深いんですよなんて今時言ってるのって新聞記者しかいないでしょ。そんな御託は利害関係を共有する身内しか真に受けてないんですよ。そうやって身内で共有してきた欺瞞的なドグマを、遂に若い世代の新人記者たちですら真に受けられなくなってきたからどんどん辞めていくんだし、「遺族取材はもうやめたら」なんて意見が出るんでしょう。


 勉強したり専門家の説明に謙虚に耳を傾けて専門性を高めることをせずに当該分野の専門記者として良質な記事が書けるわけがないなんて内部の人間だってわかっているはずですよ。でも新聞社内のキャリアステップでは各部門を短いサイクルでたらい回しにされるからそんなことしても得がない。得がないからやる動機がないだけのことを「素人目線のプロであれ」みたいな嘘っぱちで糊塗してきたのが今までの新聞ジャーナリズムだったわけじゃないですか。そりゃあんたらほどお手軽な人間じゃなかったらやってられないですよ。


 損得尽くの見え見えの薄っぺらい綺麗事の屁理屈で自分の良心を宥めることが可能なくらいお手軽な人間でない限り、今時新聞記者として遺族取材を肯定できるはずがないんですよ。たかだか一〇年くらい前に新聞記者になった世代の人間がまだそんな御託を真に受けているようでは、そりゃぺーぺーの新人にこの状況をどうにかできる希望なんか持てるわけがない。だから黙って歩み去るんですよ、水没寸前の泥船からね。

 「新聞記者」志望の御仁というのは以前からいて、ただ、それは自分らが学生時分の頃にはすでに「ああ、そういうマジメな奴ね」程度の軽い「(笑)」つきの気分で片づけられるような存在になっていた。もちろん、その「マジメ」は決して良い意味でもなく、だからこそ「真面目」ではなく「マジメ」とカタカナ表記で書き表すのがしっくりくるような、そういう揶揄が明確に入り交じった意味あいだった。

 同じような意味で「政治家」志望、というのもあった。基本的に同じハコだったが、しかしこちらは「新聞記者」以上に当時の感覚としてもさらにアナクロで時代遅れで、はっきり言って「田舎もん」な鈍重さがどうしてもまつわってくるようなものだった。まあ、このへんはなにせスーフリ大学環境の当方のバイアスありきなことでもあり、割り引いてもらいたいが、それでも間違いなく当時の「地方」や「田舎」の重苦しさやそこにまつわっているらしい人間関係のあれこれしがらみのどうしようもない「逃げられない、だけどだからこそ何らかの確かさを伴う感じ」なども含めて、ああそうか、未だこの時代にまだそういう現実と〈リアル〉に根ざしたまんまここに来ている奴もいるんだなあ、という感慨を抱かせるに十分なものだった。*2

 多少の症状の軽重、こじれ具合の多寡はあれど、これら「新聞記者」と「政治家」志望という若い衆時代の方向性というのは、実態としてそう異なるものではなかったというのは、それがどちらも「天下国家」にある角度から関わり、それを自らの手によって「動かしてゆく」ことを何か大きな使命感と共に自分ごとにしてしまっている意識、といった意味でのことだったように思う。「地方」や「田舎」に良し悪し別にしっかりからめとられていることが、それら「天下国家」とのつながり方自体からもうすでにあらかじめ規定されているのが明らかに見えていて、何よりそのことに当人がたは決して疑いをはさんだりはしていないか、仮に多少揶揄的な視線を感じる程度に当時の同時代気分に敏感だったとしてもそれはそれ、素の自分にとっての現実はそっちの方向からは否定され切れるものではない、という程度の確信をそれまでの生い立ちの過程ですでに身の裡に持っているような感じだった。その程度には「できあがっている」感がはっきりあった。オトナだった、と言い換えても、まあ、いいようなものだろう。

 そうやってその後実際に新聞記者になった、なれた人間がそういう中にどれくらいいたのかは知らない。半径身の丈の範囲で何となくわかっているのが数人、それもあまりつきあいの濃くない顔見知り程度のことで、さらに地方紙も含めてのことだったから偉そうなことは言えないのだが、ただ、そんな彼らが果してその後どのような記者生活を送っていったものだか、あるいは途中で横にはみ出していった可能性も含めて、同じ時代を生きていった経緯が正直、うまく想像できないところがある。

 無事に何ごともなく記者人生を送っていたとしたら、それこそ昨今話題の50代末からアラカン界隈の、最もダメな老害おっさんのありようを露わにしている世代にあたる。何かやらかす都度、あれこれメディアに取り沙汰される局面、それこそ記者会見などで天下に遍くガン首晒すようになっているそれら物件のツラつき、身ぶり挙動などを眼にするたびに、学生時代身のまわりにいたとしてもやはりあのアナクロで時代遅れで「田舎もん」な鈍重さを隠しもしない、できない、その程度に「マジメ」でその他おおぜいな個性の持ち主だったのだろうことが割とすんなり想像できてしまう、そんな印象のやりきれなさ。自分などは決してそういう種類の「マジメ」、世間並みのオトナぶりになじめるはずもなく、だから同じ職場、変わらぬ場所のひとところにずっととどまってこの歳まで生きてくることもできないままだったことも含めて、彼らとの「違い」を淡々と思い知るしかない。

 とは言え、これは素直に言うしかないのだが、「新聞記者」が「政治家」と青年客気も含めて若い衆にとっての将来の夢として同じハコに自然に収ま収まっていた時代というのは、戦前それこそ明治末年から大正初期あたりに前景化して以来、紆余曲折を経ながらも戦後、高度成長期を介してもなお「伝承」されてきていた息の長いスパンのものだったはずだ。「ジャーナリズム」と「政治」とが共に密接な関係の中である〈リアル〉を編成し得ていた情報環境。たとえば、あの「ナベツネ」渡邊恒雄が大股で闊歩していた、できていた、そんな時代と状況、とか。
king-biscuit.hatenablog.com*3
 それがもう最終的に無効であること、少なくとも「天下国家」といった間尺で捉えられる社会や現実との関係で、それらを具体的に「動かしてゆく」からくりを表現するもの言いとして有効だと感じられていた感覚が、すでにもうアナクロで時代遅れで「田舎もん」な鈍重さと共に「マジメ」と揶揄されるようになっていたこと、その程度に「新聞記者」も、そして「政治家」も同時代から浮き始めていた。それらが自明の前提でなくなっていったことで、「新聞記者」の仕事の重要な作法である「取材」もまた、同時代のあたりまえから乖離してゆき始めていたことは、考えればそう不思議なことでもない。それは学術研究方面においても、たとえば「調査」や「フィールドワーク」といった系列のもの言いが同じように同時代のあたりまえから乖離してゆき始めていたこととも、おそらく通底している事態だった。*4


 

*1:いわゆるマスコミ・マスメディアの「仕事」としての水準に対する不信感や疑念の類は、ここにきてまた一段と世間一般その他おおぜいレベルで薄く広く、しかし少し前までと異なる輪郭の確かさで共有されるようになってきている。何か世間の耳目を集めるような事件やできごとが起こった時にもう当たり前のように起こるメディアスクラムのさまと、そこから先を争って行なわれる「関係者」取材の約束ごとぶりの異様さについては、そろそろ観客≒消費者たる世間の側からのみならず、当のその事件やできごとの当事者として巻き込まれている側からも明確に意識されるようになり、逆にはっきりと「NO」を突きつけられるまでになりつつある。このことはこれまでにない新たな傾向であり要継続観察事案のひとつではある。

*2:こういう人がたのさらに純粋形は「●●県県人会」や「雄弁会」とかにあまり疑いもなく、当たり前のように入るような物件だった。間違っても「社会問題研究会」や「ジャーナリズム研究会」的な批評意識を伴うサークルなどには関わらない、いや、関わらなくもないのだが世間的なつきあい程度にしか首を突っ込まないか、逆に先方から敬遠されて体良くお引き取りいただくような形に持ってゆかれる、それも当人がそうと気づかぬように、といった顛末になったりもしていたようだ。

*3:改稿後も、為念 ⇒ ナベツネ考(改稿) - king-biscuit WORKS

*4:このtweetは確か、池袋駅前での高齢者による自動車暴走死傷事故に端を発した議論の流れの中で出てきたものだったはずだが、その後もこの中で触れられているような、人死にが出たような事件での「遺族取材」の是非についてはメディアに対する批判の風当たりは一層強くなっている。さらにこの後、7月に起こった京アニの無差別殺傷ガソリンテロにおいては、メディアスクラムに対して被害者遺族側からの「取材拒否」が早くから明確に打ち出されることにもなり、地元警察も被害者の実名公表を慎重に行なうようになったことで、それに対してマスコミ側が連名で実名取材させることを請願するというこれまでになかった展開にもなって議論の幅も広がってきている。……190821