終身雇用と年功序列は日本の伝統だと言われるけど、これが企業文化として定着したのは戦後になってから。戦前は数年で勤め先を変える事は珍しくなかった。経営の心掛けには「備品の管理を徹底すること」がよく挙げられた(辞める時に会社の備品を持ち出す社員が多かったから)。
— daruma@妙花闌曲_また飲みたい (@darumaz) May 14, 2019
高度成長時代に入る手前の頃、日本では戦争による中堅層の減少で人手不足が起き、ベビーブームによって膨張した若年層を集団雇用する企業が増えた。若年層を多く雇い、そこに年功序列の賃金形態を組み合わせれば会社全体の平均賃金は安くなる。
長くいれば必ず給料が上がる事が、辛い下積み時代を耐えるモチベーションになり、社員の離職率は下がる。戦後の終身雇用と年功序列は、中堅層の人手不足とベビーブームによる若年層の人口増加によってそれが企業の利益に繋がるから定着したのであって、決して日本の伝統だからじゃない。
「辛い仕事を耐え忍んで後に大きな利益を得る」というのが日本人の気質に合っていた、というのは要因としてあると思う。「石門心学」に見られる「耐え忍ぶ文化」も確かに日本にはあった。ただ、記録を見ると明治大正の日本人って結構平気で会社を辞めてるし企業の方もそれを気にしてない。
大企業に長年勤めた幹部社員が「そろそろ郷里に帰って親のそばで暮らしたい」という理由でポイッと辞めてるし、会社も特に引き留めてない。あと明治の頃の日本人って、日本的忠誠心を持ちながら欧米の制度を自由に活用する、得体の知れない豪快さがある。
ドナルド・キーンさんが調べたところ、日露戦争でロシアの捕虜になった日本人が「ここの食事はまずい。国際条約に則ってもっと美味い飯を出させろ」と国際赤十字に文句を言ってる。冬になると「ロシア人はみなスケートを楽しんでる。我々日本人捕虜もスケートしたい」という要望まで出してる。
昔も「これがウチのやり方だ」と言う会社は結構あったけど「それは自分のやり方とは違う」と言う社員も多かった。しかも社会保障なんてロクになかった時代で。高度成長時代の印象の強さ、それがもたらした富の大きさのせいで終身雇用と年功序列が唯一の正解と見なされてるのだと思う。