こちらのnoteが流れてくるので、懐かしさと苦しさのあまり昔話をはじめるお婆さんになろうと思う。TVCMは何のためにあるのか…広く商品(企業)を知らしめるためと購入させるためが主、なんですね。このCMが流れた頃私の周りの狭義の貧乏美大生たちが一番色めき立ったのは人物のスタイリングでした→ pic.twitter.com/rdu1cILgRC
— おかざき真里『かしましめし』3巻2/7発売 (@cafemari) 2019年12月18日
こちらのnoteが流れてくるので、懐かしさと苦しさのあまり昔話をはじめるお婆さんになろうと思う。TVCMは何のためにあるのか…広く商品(企業)を知らしめるためと購入させるためが主、なんですね。このCMが流れた頃私の周りの狭義の貧乏美大生たちが一番色めき立ったのは人物のスタイリングでした。
何気ないスタイリングに見えるのですが、代官山のハリランでしか手に入らないレアアイテムもあって当時の流行最先端、スタイリストは申谷弘美さんではなかったかな(違っていたらごめんなさい)実はワンアイテム10万は下らないだろう数々(ハイブランドではなく古着でグランジの先取りでもあった)
かくして当時の若者たちもグッと胸を掴まれたCMでした。猛烈サラリーマン層は既に新幹線ヘビーユーザーで、あとお金を使ってくれそうな、ということでスポットライトが当たったわけです。だって恋人に会うために新幹線代だけで(区間はわからないけれど)下手したら数万円…。これが今現実的でない。
つまり何が言いたいのかというとこちらのブログで冒頭に宣言されている「このCMには現代人が失った大切なものが多数含まれるような気がしたのだ。」というのは、お婆ちゃん的には、「お金」でしょうと、思ってしまう。若者がお金を持っていたら、目敏い広告代理店はきちんとターゲットにしますよ。ターゲットにして丁寧に素敵な夢を乗せてくれますよ。高級ブランド購入に若者が徹夜で並んだ時代。ラッセンやヤマガタの200万円のシルクスクリーンを学生に売っていた時代。ちなみに私は貧乏だったのでクリスマスに彼氏と家鍋をすると言ったらDV(当時はこの言葉がなかった)と言われた時代。
(前ツイの最後は思わず私怨が入りました)
経済はとても大事です。大事ですが「失われたものなんてないのです」と言いたい。むしろ虚構に飛びつかない今の若い子(自分調べ)の方がまともです。今の子たちに良い未来を与えるために経済を発展させていきたい。
「代官山のハリラン」だの「スタイリストは申谷弘美さん」だのにも、さらに注釈「引きごと」が必要になっている。
かつて、同じ80年代、田中康夫の『なんとなくクリスタル』が、そういう細部にいちいち注釈 (「NOTES」とシャレてやがった……あ、ほぼ40年近く経巡った後、このブログも同じだが) をつけるスタイルだったけれども、今となってはその注釈の部分が貴重な民俗資料であり、もしかしたら「ブンガク」なのかも知れなくなっているというあたりも含めて、そのような消費生活と商品にまつわる細部こそが「歴史」を回復してゆこうとする際の同時代史的な意味での重要なポイントになってくる。
たとえば、ここの部分など、まさに。その無邪気で天真爛漫で、何よりおそらく〈いま・ここ〉2019年の年末でさえもなお、確かにそう思っているらしい感じも含めて。
若者がお金を持っていたら、目敏い広告代理店はきちんとターゲットにしますよ。ターゲットにして丁寧に素敵な夢を乗せてくれますよ。
「若者」を消費者に仕立ててゆく「意志」が、そういう側に露わにうかがえるようになっていったのは、概ね1960年代後半から1970年代あたりにかけての時期、いわゆる団塊の世代の「数」が市場としてはっきり視野に入ってきた頃からだろう。で、もちろんそれは彼ら彼女らがそれなりに自由になるカネを持てるようになってゆくことに担保されていたのだが、そしてだからこそ、その「お金をもっていたら」という部分に本気で重心がかけられているもの言いではあるのだが、しかし、今世紀入るあたりからこのかた、この「丁寧に素敵な夢を乗せる」ターゲットというのもむしろこのかつての「若者」たち、いまや立派に高齢者ジジババと化している人がたへと移行してきているのではなかろうか。
このような「消費」の経験もまた、ノスタルジーの対象に組み込まれてゆき、「歴史」の裡に織り込まれてゆくものらしい。
ほんとに、今見ると涙が出るほど胸が熱くなる。なんでだろ。
あの頃は、ブランド持ってナンボの時代でしたもんね。古着とはいえ安くはなかったし。でも楽しかったです。あの時代を東京という都会で過ごせたのはまさに青春でした。私には。
確かにラッセン買ったりブランドモノを身にまとったりは真っ当ではないかもしれませんが、それが普通だったのでしかないですよね。今でも新幹線で遠距離恋愛移動する人もいるし、もしかしたら当時も新幹線なんか使えず高速バスでしか移動できない人もいたのかもしれない。
「80年代」とひとくくりにして語る、それは自分もまた往々にしてそうしがちなのだけれども、でもやはりそのひとくくりの中にはくくり切れない細部が無慮厖大に含み込まれている。とは言え、それらも全部ひっくるめて「歴史」というまた別のくくり方が、またそこからずるずると引きずり出されてくるものでもあるらしい。昨今の、〈いま・ここ〉と地続きの現代史の脈絡で平然と、粛々と行なわれ始めている「もうひとつの歴史修正」の避けられない過程としても。
自分が10代のころ、50代の人から「30年くらい前に~があって」とか言われても無限に昔の感じしかしなかったですが、自分が50代になってみると「30年前(1989年)」はあんまり昔の感じがしない。
— 上山和樹 (@ueyamakzk) 2019年12月18日
それは個人レベルの主観にすぎないのか、それともやっぱり色んな面で「変わってない」のか。
高度成長の30年と、不況の30年では違う――それもありそう。
36年前の流行曲がそのまま今でも通用するのは、作者が天才的だったのか、あるいは楽曲文化が当時すでに成熟していて、ある水準に達していたのでもう色褪せなくなったのか。
そのような「もうひとつの歴史修正」は、政治や経済や戦争や災害や、いずれそういう大きな事件やできごとを節目としてでなく、それらの背後に脇役として横たわっていたはずの日々の暮らし、日常の営みの中に織り込まれていた小さな体験、ささやかな見聞などを介して、どうやら最も切実に行なわれつつあるものらしい。たとえば音楽、たとえばテレビ番組、たとえばマンガでありアニメであり映画でありゲームであり……
ああ、そうか、近年どうにもやりきれない居心地悪さをずっと感じさせられているあの「サブカル」ってもの言いにしても、そういう角度から見える「もうひとつの歴史」の風景に最もフィットしたものになっているのであり、だからこそそれらは「大衆文化」や「生活文化」といった既存の大文字のもの言いでなく、カタカナ表記かつ短縮形で口の端に乗せやすくなった「サブカル」でなければならなかったのか。
紫式部『源氏物語』は1000年前で、想像もできないくらい大昔だと思っていたら、自分が50歳になってみると、「1000年」はその20倍で、そんなにすごい大昔でもない――そう感じるようになった。(100歳の人にしてみれば自分の人生の10倍にすぎない、あんがい短い)
1970年代~80年代に映画やイラストで夢想された「2010年代」は異様で、今ならどう見ても1000年くらいは未来の感じですが、1000年たっても人の暮らしや感覚はあまり変わらない、というほうが当たってる気がする。
山下達郎「クリスマス・イブ」は、1000年後にも今と同じ感じで聴かれてるんじゃないか。
不易と流行。変わらないものと変わるもの。伝統と眼前の事実――何でもいいのだけれども、でも、「1000年」という時間の射程で、たかだか商品としての音楽、それもたまさか〈いま・ここ〉に誰もが耳にして記憶していられるようになっているに過ぎないかも知れない、そんなものをよすがに「変わらないもの」を考えるようになっていること自体が、それこそ本当の意味で「変わらないもの」をうっかりと露わにしているような気もする。
ただ、それをどう呼んでいいのか、とりあえずはさまざまな語彙やもの言いが浮かびはすれど、とは言え、おそらくはそのどれもうまくそぐわないだろうという静かな確信と共に。
note.com
www.youtube.com
www.youtube.com