「妖怪」の図像系譜・メモ

受け手の分野というよりいざ研究をきちんとしようとしたときに、「あ、この図鑑にあること整合性とれてない文章なのか……なるほど」っていう段階にまで進めることのできる研究者と、そのへんごちゃまぜな研究者とがいるのでマトモな研究書や論説にそういうのが混じってることがある、ってだけでしょ。


「整合性が特に無い図版だったんだ……なるほど」っていうのも、「このかたちは伝統的なものです」っていうのをにおわせてる感じを打ち出してる図鑑だったりする場合は「文章」よりも強いものがある ってあたりで、このまえは水木・有文の差はあんまり無いって感じで書いた。

(60~90年代前半の図鑑類を)
1▼そのまま一般的な妖怪情報として羅列受容するダケの層
2▼学術書の情報を質的上位変換したものダとしてしまう層
3▼解説・図版の誤謬錯誤訛伝の多寡を取捨見分け可能な層
4▼当時の一般書籍・資料から造り出された作品化と見る層

 それぞれは複合的なところがあって、


2番みたいな捉え方がベースにあった上での3番、と、
(絵巻物や石燕・春泉斎の作例自体を、体験談や民間取材の絵画化でしかないと考察してしまう向き)


4番が当時の図鑑の基礎認識としてあっての3番、でも、だいぶ考察内容にはズレが出て来るとは思う。


 「60~90年代前半の図鑑類」と区切ったのは、それ以後はある程度の整理が出来上がって来て(狩野家土佐家や石燕・郷澄などの描いてるものが、当時の伝説や俗信の単純な直列ではぜんぜんないこと――うわんが街、わいらが山にいない――などが明確に知れたこと)基礎認識そのものが変わった前提があるので、その基礎認識の変転後(21世紀に入ってから)も、そのへんを特に意識せずに 1番・2番を複合させたかんじでの解説が往々として論説や展示にも存在してるのは、3番・4番とはあまり接点のない図鑑受け手のなかでの独立生育。(ただ1番・2番とかは、他の本を見て無かってダケという単純な理由だったり、3番に触れてても3番な情報空間で取り扱われがちな・既に俗説解説にもよく出て来るような対象個体しかそう思ってなくて基礎認識自体は2番だったり、というケースもあるので、むずかしいね)


 図鑑本体としては4番の認識があった上で1番の立ち位置で送り手はフツーに造ってたと思う。2番のイメージが出来たのは90年代前半以後の水木図鑑単独についての「世間イメージ」でしか無い、とは思う。


 実際、90年代以後は水木図鑑は「解説」のつくりかたが変わって、そういう項目(内容的に2番に近いつくりの記事解説)も主にあたらしいものに増えて来るんだけど構造的に解説全部の基礎部分が替わったわけではないから60年代そのままも同時にあることによって、「イメージ」が問題を引き出す部分がある。


 有文せんせいも水木せんせいも、独自かな? と思われてる図鑑の図版・解説が本人以前の記述や使用例をただそのまま引き継いでるだけ、の内容があったりするネ。(北斎のこはだ小平次が横だおし図版だったりするのも洋書由来)