小熊英二その他の闇・メモ

 政治の季節の過激さが脱政治化してノンポリ化したはずなのになぜか反権力仕草としての清貧根性論が残って、それの反動で新自由主義化で獲得競争性資金が増えていくタイミングで「金を取れたやつが偉い」にいきなりなって…

 これなぁ、いわゆるガクモン学術研究でも同じのはずなんだが、殊に本邦人文社会系はそのへんゼニカネがらみのことを言語化しないのをなぜか潔しとする風土があって、それがある時期からこっち裏目に出て臆面なき政治性全開になっちまった印象はあるんだわな、無職老害化石辺境脳目線からは。

 社会学のカルスタ屋たちが、駒場小劇場の周辺から「おいしい生活」のセゾングループと結びつくことで、反権力仕草をあからさまにゼニカネを儲ける手段にして行った、というのは端から見ても感じるところです。社会学の体質が問われているのは、これの関係者たちから始まった部分が大きいですね。

 カルスタの輸入は東大社会情報研究所(現情報学環)のセクショナル・インタレストによるトップダウン的なものだったことを、シンポジウム「カルチュラル・スタディーズとの対話」で成田龍一上野千鶴子が仄めかしています(下の本の527-528頁)。shin-yo-sha.co.jp/book/b456230.h…

 吉見俊哉も噛んどったでしょうに(´・ω・`)

 そのへんの界隈、ほとんどニアミスないしは濃厚接触しとったみたいやのに、なんでわし、無事やったんやろ(無自覚エンガチョ最強)(´・ω・`)

 新聞研・情報学環出身者の中に佐藤卓己先生や僕の指導教員がいたりして、そういうところから何を選んで何を選ばなかったのか、が垣間見えて面白かったりします。昼頃書いた思想の科学的なものの良さ悪さとある面では通底し、ある面では反発もするんでしょうし。

 吉見俊哉はカルスタ輸入のボスの一人です。

 吉見先生、世代的には入れてもおかしくない筈なのに思想の科学とかの感じしないんですよねぇ(竹内洋先生の『清水幾太郎の覇権と忘却』やjimbunshoin.co.jp/news/n17057.ht…がヒントになるかも)。

 民俗学という真正知●遅れのムラの子扱いだったのが奏功したらしく(´-ω-`)

 ちょうど、佐藤先生はドイツ史・ドイツ新聞学、指導教員は西田哲学左派・中井正一を選んで研究し当時としても古風なものをやってた感がありますね。空気から自由になっておくの大事ですね。

 濱田純一が東大総長に選出された時の選挙参謀長が吉見俊哉ですから、学内の左翼に対する睨みは相当に利く人の筈です。

 なるほど……吉見先生は、時代が違えば企画院とか昭和研究会にいたかもしれないですね。

 政治スタンスとしては、明らかに新左翼ではなく、ベ平連や旧社会党共産党に近い「旧左翼」ですが、竹内洋も現役の学界政治の実力者には言及しなかったのではないでしょうか?

 小熊英二ベ平連の実態を新左翼から 切り離そう切り離そうとするのはこの辺も関係しておりますでしょうか

 竹内先生の守備範囲的に68年以後の話をあまり扱えてないってのは感じます。昭和末期~平成期の話を扱うときは明らかにやや粗い感がしますので。

 イコール代々木さんでは無いにしても アカデミズムの世界で左派と言うのは消えてないと言うことで良さそうですね

 小熊は『1968』で、ブント結成時の人数を通説より少なく書いたり、樺事件以後の動きを共産党に不利になる事実を隠すように時系列を入れ替えていますから、晩年に鶴見俊輔が急接近した共産党に楯突いた新左翼は敵視する、というスタンスで、ベ平連以前の問題ではないかと。shin-yo-sha.co.jp/book/b455836.h…

 60年ブントの人間で岩波に絡んだ人って確か記憶にないんですけれど ずいぶん手厳しいなとちらっとだけ読んだことがあるんですが、そこまで恣意的だったんですね

 『1968 下』については、取り上げられた当事者の批判がAmazonレビューにありますが、上巻を見ても、年表レベルの間違い or 書き換えがあって、校閲者はスルーしたんだろうか?このレベルで「歴史社会学者」を名乗っていいのか?と思ってしまいました。
amzn.to/3dRf4x6

 アマゾンのレビューの反論ではうるせー馬鹿野郎、書いたもの勝ちじゃないかとか 確かそういうことが書いてあったはず

 小熊が共産党方面の大学教授たちに高く評価され、多くの大学であの無闇に分厚い本が教材に指定されて大量購入されているのも、それだけ共産党に都合がいいように歴史を書き換えているから、と言っても過言ではないと思います。
bit.ly/32LBGbY

 社会学では運動のためには嘘をついても構わないと言う上野先生と全く同じですね

 鶴見俊輔を基準に考えるべきかもしれません。上野千鶴子鶴見和子幇間でしたから、晩年の鶴見俊輔共産党へ急接近したのについていく形で上野と小熊英二も代々木と合流したと見ると自然な流れになります。
shin-yo-sha.co.jp/book/b456075.h…

 後藤新平をめぐる権力の構造にも、示唆的ながらこういう話がはっきり出ていて、社会党が衰退してきたからなのかもしれませんけれど


 ただ、小熊と言う人もとんでもない人ですねと 嘘を言って若者を集めて社会運動やってるわけで、それで人が集まらないとか右傾化とか言ってるわけで、むしろ人が集まる方がおかしいんじゃないのかな


 ここ数年であの人がやっている社会運動のほんの些細な部分ですけれどそれが1番醜い部分を見てきました 親戚の子供たちがもしそれに参加したいと言ったら 何も言う資格はありませんが絶対に止めますね

 はっはっは、いまさら何を(#^ω^)

文科系の奈落 - king-biscuit WORKS king-biscuit.hatenablog.com/entry/20071006…
「民族」という都市伝説 - king-biscuit WORKS king-biscuit.hatenablog.com/entry/2009/01/…
小熊英二=偏差値世代の自意識・考 - king-biscuit WORKS king-biscuit.hatenablog.com/entry/20031012…

 関西で20,000,000円集めて会計報告出さずに文学賞をとって、うまく大学もステップアップした人いましたけれど、東京では大嘘ついても岩波と朝日のバックがあれば 何の問題もないと


 男性皆殺しとか、去勢とか実際あれなんじゃないかと悪口を言うとアカデミズムを追放されて、大嘘ついたり暴力事件を起こしたり、お金の監査もまともにできないで出世したりとか、広い意味で社会学はすばらしいw


 1部の人に過ぎないと言う人いますけれど、ここに挙げた方みんな有名な人ですよと、後セクハラやって都知事選挙に出た元新聞記者いましたけれど あの方についても何にも言われないと

 呉座先生はやっぱり中世史の人だから、きっとこういうことが見えていなかったんでしょうね

 それ、要審議(#^ω^)

 朝鮮史の先生もいましたけれど あの世界って皆さん謝罪マニアばかりじゃないですか ジェンダー法学ってなんですかと 日本の憲法の規定に沿ってますかと、こういう人たちが 後にいるような感じですけれど


 まぁやたら長い本書けば、途中で皆さん分かんなくなるから嘘をついても構わないと、自分でも思ってしまうのかもしれませんが

 上野が政治目的のために研究データでウソを書くことについて、「社会運動家としては正しい選択です」と言ったのは小熊英二ですね。『1968』を見れば、自分の本でも歴史的事実の記述で意図的な誤魔化しや改竄をしている自覚があったのかもしれません。


 小熊は第1作の出版時、新曜社の編集者と一緒に地方の大学教員に売り込む地方巡業をしました。小熊が岩波出身だから販売熱心としか当時は思いませんでしたが、地方の大学に多い共産党員教員に本を売り込んで、学生に毎年本を買わせて安定的なマーケットを作ろうとしていたんだと後から気が付きました。

 その同じ編集者がわしの担当で、本の企画が進んでてゲラまで出てたのを、ちょうどそのタイミングで小熊dis った原稿「諸君!」に載せたんで、版元新曜社の社長が出版取りやめにしたんだず。そういうおサヨク商売でひと山当てるのが見えてたのに邪魔しやがって、ってことだったんかなぁ、と後になっておもた(´・ω・`)

 新曜社があれだけ売り込みに力を入れていた本に水を差したら、確かに報復を受けそうですね。あんなにして売り込むのは他に見たことがありませんから。あれだけのものを作って、もし売れなかったら大変なことになりますよね?その背景とか本当に重要ですね。小熊が全部自分でやったと言う形にしたいんでしょうけれど、著作については、グループで作ったと言う理解もできますよね?

 共同制作的なところがあって不思議ないかと。新曜社の編集のU 氏はその後まったく音信なくなりましたが、ボツになったゲラは紆余曲折の後、夏目書房の社長の侠気で出版されました。ただ、その夏目書房も後になくなりました(´-ω-`)

 科研費を貰うと商売上、何かと制約がかかるので、小熊の研究費は全額、新曜社が出版前から払っていると聞きました。2作目か3作目の出版時です。小熊と新曜社の関係は、かつての立花隆文藝春秋のような特別待遇のようです。

 小熊の年代の社会学者がどこまで党派に関わるかは議論の余地があると思いますが(小熊は共産党よりの記述をしていることに無自覚にも思える),新曜社との蜜月はそれはそうでしょうね。小熊ならそれこそ科研とって岩波から出すことだってできたわけで。

 小熊だけでは無いのですが全般的に党派性に 社会学者の皆さん無自覚ですよね。『〈民主〉と〈愛国〉』で藤間や石母田粛清されたの書いているのに井上清中国派で除名されているの書いてないのとかは本当にやばいと思いますね。

 上野千鶴子科研費を受けたことがありますが、小熊は確かに貰ったことはないようで、新曜社が負担していたのは事実だろうと思います。第1作売り込みの地方大学教員向けの地方巡業で、よほど安定的なマーケットを確立したという自信が新曜社にあったのでしょう。
nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/100009…

 本人は無自覚かもしれませんけれど、安定的なマーケットを得たと言う事は取り込まれたと言うことになりませんかね?

 シールズの特に牛田君は党派性に無自覚でしたけれど立憲民主党系の広告会社のブルージャパンにもたぶん誘ってもらえず 共産党の活動家枠に入れてもらえず 今はどういう仕事してるんでしょうね

 学生運動が語られる場合、図書館に行けばあのでかい本があると思うんですが 本質的な問題はやっぱり代々木さんの扱いですか

 こんな無闇に分厚いだけの2冊本を新曜社が出したのは、最初から共産党とのタイアップで、大学図書館や学生に買わせるだけでなく、公立図書館が買うことを予想して、学生運動の民青史観を一般読者にも行き渡らせようとしたのではないでしょうか?
shin-yo-sha.co.jp/book/b455836.h…
shin-yo-sha.co.jp/book/b455831.h…

 小熊wikiの項からの天下りになりますが、西尾幹二「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」が大目的でしょうね

 一般読者が買うような値段ではないので、最初から、公立図書館で本を借りて読む層にも、民青史観を注入しようとしたとしか思えません。研究書としては、年表レベルでの間違いが指摘できるほど粗雑な内容ですから、研究者を読者に想定したとは思えないのです。状況を見てタイアップがあるとしか思えないんで やっぱりタイアップなんでしょうね

 絓秀実『1968年』が手ごろ(新書なので値段・厚さ敵にも)で読みやすい上に、べ平連がソ連KGBから資金援助されてて小田実も承知の上だったという系統のエピソードがあるので、危機感を持ったってのはあるかもしれません。

 新左翼の側に読みやすい学生運動史の入門書が、当時、あった訳ですね。『1968』というタイトル自体、絓秀実の『1968年』に意識的にぶつけた感じがしますね。絓秀実は『民主と愛国』を批判し、そのためにも『1968』を書いたようです。小熊ー絓間のバトルこそが一番の対立軸だと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 出版の時系列とかが怪しかったですが、これは鋭そう。絓秀実は背景に戦闘的アナーキスト人脈とかがあるので、党派的に歴史を作る共産党とイノセントなノンセクトのどちらからも嫌われる歴史観を作っていますからね

 面白いもので、その前後絓は西部邁先生と組んで共編著書いてますね。他に組んだのが佐伯啓思先生、富岡幸一郎先生、福田和也先生などの名も。共産党思想の科学(鶴見系)は小熊側に行くのも分かる。

 2001年7月の参議院選挙で鶴見俊輔小田実共産党の推薦者としてポスター類に顔を出すなど社民党共産党に合併させる動きをしていたのを、失業を恐れた社民党職員が蹴飛ばして福島を幹事長にし、辻元を失脚させましたから、梯子を外されたベ平連グループは共産党と合流するしか道がなかったのでは?

>2005年(平成17年)の衆議院議員選挙では、土井たか子が事実上の政界引退を表明したことに遺憾の意を表し、社会民主党支持を明らかにしている。

90年代末~00年代の社民・共産関係とその周囲は結構複雑なのでかなり丁寧にほぐさないといけなさそうです。

 青山へ小田実の葬式を見物に行ったら、土井たか子辻元清美の周りには参列者が沢山集まるのに、福島瑞穂の所へは誰一人寄り付かず孤立していて、「やっぱり、そうだったのか」と思いました。勿論、小熊も参列していました。

 それすっごい大事な情報ですわ。

 辻元さんと いわゆる関西カウンター、まぁしばき隊ですけど どうも距離があるみたいで関西の事情通に聞いたら、どうもほとんど接点がないらしいと

 乗り越えネットに社会民主党の関係者がいる事はこれは有名な話で、地盤の高円寺で、 バーのママとか 福島さんはやってますよね

 社会民主党系と共産党系、例のブロックリストにはその対立関係が見えていると指摘する方もいます

 下のページにある東大社会学研究室の教員在任記録を見ると、どのポストが代々木系として引き継がれたかよく分かります。日高六郎は文学部教授から新聞研究所教授に転任という形になりましたが、高橋徹は文学部教授と新聞研究所教授を兼任しました。
on-sociology.blogspot.com/2018/02/blog-p…

 新聞研究所といえば杉山光信→姜尚中、という流れもある場所ですからね。ここは掘りたい。

 新聞研究所の親北朝鮮派を見るには、『日高六郎・95歳のポルトレ 対話をとおして』は必読書です。代々木系の福武直との確執についても少しですが語っています。
amzn.to/3nom87q

 積読状態でした。黒川さん地味にありがたい仕事してるな。

 要注意でっせ(´・ω・`)

 左の人なんだろう、とは(リアルで遭遇しても)感じるんですが、その割に鶴見俊輔の伝記で「こんなこと書いていいの?」と思える記述を遠慮なく書いたりしてて、なんか独特な方ですね。

 末期思想の科学(煮崩れた果てのゴミため)御用達というだけで要審議&要注意かと。「こんなこと書いていいの?」と思わせることまでも含めて「政治」ですわな、鶴見とその界隈まるごと加担した。

 それも間違いなく感じますね。そういう記述が出るタイミングや内容が結構ランダム的で単純に勉強になったりもする、のが面白いところだったりもしますが。


 竹内洋の著作などにも感じるんですが(特にある時期以降のものや編著系になるとより一層)、ああ、もうこういう高度でしか対象の像を結像しない/できないんだな、と。良し悪しではなく、そういう結像の仕方の記述を求められる「読者」世間というのがあることと相補的な意味も含めて、ですが。

 竹内先生とそれ以下の世代の先生方の指導を受けて研究を進めてきたまさに純粋培養ですので耳が痛いところです。伊藤隆先生がインタビューで発言していた薄く広く……ってところですね。

その「薄く広く」の意味あいも注釈が必要なような……同じ水準での「広く」でも「薄く」でもないんですよ、おそらく。「違う」水準、〈それ以外〉の場所にあり得る現実もどこかで察知しながら、の「広く」であり「薄く」でもある、というか……

 そういう意味で一番顕著なのがやはり佐藤卓己先生である、という感が強いですね。彼ほどありえたかもしれない世界線に敏感な人はいないですから(cf『ヒューマニティー歴史学』で、SPDながらスパルタクス団を鎮圧したノスケに思いを寄せている記述が印象的でした)。

 「薄く」も「広く」も、いまどきある時期からこっちの情報環境デフォで社会化してきた世代の感覚にしたら、あたりまえにストレスなくそう思えてしまうものなんだろう、と。でも、そういうのじゃなくて、というあたりがどう伝えられるのか、という……


 何というか、いまどき映像やモニタみたいに手前から奥の方無限大までフラットに合焦できているああいう感じ。ああいう風景前提だと「薄く」も「広く」も自在感あるんだろうなと。ピンボケ上等、視野狭窄も歪みもあたりまえな風景を自前で踏みしだきつつ結果的に「広く」「浅く」になった感覚との違い。

 佐藤先生が博論を仕上げて単行本にしたのが90年代、もうコンピューターが入り始めて……ってなってますからね。以降は言わずもがなですし、僕のような世代を指導していけばますますそうなりますしね。


 日高六郎は明らかに政治的計算の上で自分語りをしていて、黒川創は拝聴しているだけの印象です。伊藤隆の聞き取りは、羽柴秀吉の城攻めみたいに外堀からジワジワと埋めて行きますが、ああいうのは他の人にはなかなか真似が出来ないですね。伊藤先生は司馬遼太郎をやりこめたりと、基本的に学問即ち戦闘という方でしたからね……。他人の認識とぶつかり稽古して押していく。

東大社会学には、志垣民郎『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』の衝撃が大きくなければおかしいのですが無視しています。高橋徹富永健一見田宗介が内調から金を貰っていたことが暴露されています。鶴見俊輔も内調から『共同研究 転向』の資料提供を受けました。
books.bunshun.jp/ud/book/num/97…

 立命館の富永京子さんと 健一さんの関係って、ご親戚ですか?

 それは私も疑っています。富永健一の父親は、あの満鉄調査部員で、祖父は朝日新聞主筆だった池辺三山ですから。富永健一も東大社会学の植民地人脈の一人です。

 科研費と言うものを明らかに運動界隈に流しているのはどういう政治的意図があるかと、問われなければいけませんよね 誰も見ないウェブサイトを作って、7,000,000円とか

 鶴見は若泉敬の自殺の際に思うところがあった……の個所も印象的でしたね。内調の幅の広さ、粕谷人脈なども手を貸していると思います。


武者小路公秀も内調から金を貰っていたリストに入っていますから、昨今の「左翼」がやっている「内調叩き」と実際の内調の活動には相当に距離がある印象を受けました。非合法の活動を行う組織じゃないんですね、正直ってこれぐらいのレベルでしたら、広告代理店や 新聞社でもお金さえあればできなくは無いのかなと昔読んで思いましたけれど。

 左の立場の先生が、表向きお国の仕事を受けにくい場合、ある程度領収書かなんとかなるお金を使うと言う事は私はそんなに悪いことなのかなと思っております。世界常識で考えたら通信社は報道機関ではなく、相手国のアグレマンを受けた外交官ができない情報収集をする外務省の外郭団体的な情報機関です。原寿雄みたいなゴリゴリの反米左翼が共同通信専務理事・編集主幹になったのも外務省反米派の後押しがなければ有り得ません。
bit.ly/3gR66C5

 金大中の側近が、かなり以前から韓国での漁民の拉致から、多分日本でもやってるんじゃないかと言う疑問を持っていて、日本で北朝鮮の人間とあってその確信を深めていたと言うことを書いているんですけれど、どこで会っていたのか 私にはとても興味があります。ただ韓国での漁民の拉致からと言う連想から そして日本で誰と会っていたと言う連想から、ある程度の人間が、学者レベルまで含めて拉致をかなり深いところで把握していたと言う気もいたします。その中に確実に和田春樹と言う人と岩波の世界と言うものがあったと。

 今すぐに出せないのですが、東大紛争時に福武は総長補佐か何か大学執行部の幹部で、その時の対応を日高が批判しています。あと立命館大学の学生集会に招待されたのに、共産党が握っている大学当局に立ち入りを拒否されたと語っています。東大文書館に福武文書は入っています。u-tokyo.ac.jp/adm/history/09…

 立命館大学社会学部の人事権と言うのは上野千鶴子先生グループである程度握っていると考えて間違いないでしょうか?