被差別闘争は生業ではない

 元全解連部落民まりしさんとしては、暇空さんとコラボの案件で、暇空さんが争点に持っていってコラボが答えねばならぬ部分が、まさにワシらが『ホンマに自分の子らの世代がみんなと同じ水の一滴になるためには、もうやり方を変えねばならぬ』解同とは違うと決意して捨てたものと被るように見える


 暇空さんは属性ではなく、あくまで手続運用の瑕疵を問い、属性については『社会正義を語るのであらば品行方正公正公平でなければならぬ』と示してリーガルバトルに向かい、ここが被差別者としては非常にありがたいところ。コラボ側もこれに誠実に応え、また誹謗中傷と捉える事案や被害について争訟を行うことで、『圧力団体』でなく救民救済を本義とする集団であることを示せれば良いし、そうあらねばならぬとかつて全解連は、翻って日本共産党はそのように舵を切ったわけであるから、特に日本共産党の関係者においては、『ネオ同和』などと言うレッテルが貼られるようなことの無いようにして欲しい


 暇空さんは属性をいわぬ、コラボ側は属性における被差別を語る、故に元全解連部落民としては、『皆が、せめて我が子らは世の人々と同じ水の一滴としてありたい』と願ってきた想いを拾い上げていただきたい。果たしてどちらがそうであると見えるか。少なくとも、被差別闘争は生業では無いのです