左派活動家に至る途・メモ

 左派の活動家を見てると、

    ・何者にもなれなかった人間
    ・なりたい自分になれなかった人間

の2種類がいる。


 広義のしばき隊界隈でも、本業がしっかりある人間と、本業が見えてこないタイプの間に、溝がある気が。ライターなんてのは、左派系出版社に気に入られれば、誰でもなれる浮き草商売。


 鳥山先生も指摘されてるように、文章力ってのは素人と玄人の間に、さほど差がない。そりゃあ、漱石や鷗外クラスになれば別だけど。左派系出版社から一冊本を出し、一部にチヤホヤされ物書きでござれと講演やらで喰っていっても、何十年かのスパンで蓄積されたモノが無いから、ジリ貧になる。


で、弁護士とか大学教授とか堅い本業があるように見える人間でも、なりたかった自分になれず、そのギャップに不満を抱えているタイプ が。四十路で鬱になるサブカル人士、五十路で言動がおかしくなりカリカリしてる界隈も、似たようなものか。


 「大学入ったら独り暮らしさせてって言ったら、パパがダメだって。通学用に車買ってくれるって言うから妥協したのに、国産車よ。信じられなぁい」と言ってた青学の内部生が乗ってたのはスープラだった。上野千鶴子御大の〝娘のフェミニズム〟も本質はコレ。未来では、学問ではないと否定される代物。


 ダーウィンは名家の生まれだが、医者にも神学者にもなれず。ビーグル号の航海を経て地理学者となり、ついに進化論を打ち立てた。進化論に影響を受けて、マルクス資本論を書き上げたわけだけど。マルクスロスチャイルド家の縁戚で、実家は裕福な一族。でも大学教授になれずジャーナリストに。


 でも、本人は科学のつもりで書いた資本論だが。代々のユダヤ教のラビの家柄だったのに、プロテスタントに改宗したという宗教コンプレックスを燻らせたマルクスが書き上げたそれは、最後の審判を革命に、神の千年王国共産党一党独裁の平衡世界に置き換えた、疑似科学。むしろ純化された宗教だった。


 こうやって俯瞰すると、

    ・何者にもなれなかった人間
    ・なりたい自分になれなかった人間

のルーツが、明確に。


 大学教授になれず、ジャーナリストも半端、ダーウィンの世界を変えた業績に憧れ本を書いたが、蓄積された学問の上に生み出されたモノではないので、疑似科学になってしまった御仁。


 Twitterで暴れてる左派に、教授だのジャーナリストだの出版だの疑似科学だの宗教だの元は名家だの、実にマルクス的なルサンチマンに親和性高し。
そりゃあ、自分の好きな物に耽溺して充足してるオタクに、逆恨みに近い感情を持つのも、必然かもしれない。逆恨みは逆恨みであって、正統性など無いが。


 ダーウィンマルクス。同じように、裕福な家に生まれて若い頃は迷走して、世界的な学説を打ち立てたけれど。一方は学説は修正されつつも未だに否定されることなきダーウィンと、壮大な実験は失敗に終わり多くの人間を死に追いやり疑似科学だとバレたマルクス。両者を分けてしまったモノは何か?