ウクライナ軍、実はNATO軍、説・メモ

 「ウクライナ軍は実はNATO諸国軍部隊が偽装しているもの」って陰謀論みたいの見たんですが、パール・ハーヴァー直後に「ダーウィン進化論的にも日本があんなに優秀なわけない、戦闘機も搭乗員もドイツ人だ、目撃証言もある」って馬鹿レポートが大真面目に出されて即却下されたって過去がありましてね。


 理想と現実をどうにか擦り合わせようとしてるんでしょうけど、「NATOの支援を受けたウクライナ軍」に納得できないと「NATO軍そのもの」になっちゃうのか、と感心したり。それロシア軍vsほんとにNATO軍ではロシア軍に勝ち目まるでなしって自ら認めることになるんでは・・・。


 ちなみに馬鹿レポートは陸軍(と陸軍航空隊)関係筋が作成したもので、搭乗員と戦闘機をドイツにしてしまったため空母機動部隊も作戦立案もドイツにせざるを得なくなり、真っ先に海軍が「進化論とかは知らんが我々の専門分野について言わせてもらえばドイツにそんな能力は無い」と速攻否定したというw


 でも目撃証言には「蒼い眼の搭乗員が日の丸描かれたメッサーで地上掃射してきた、あれはドイツ人に違いない」とか書かれてたという。捏造かほんとの証言かは解らんですが、ほんとの証言なら、目撃証言がどれほど当てにならないかの好例というか。メッサーと零戦のどこに見間違える要素があるやら。

 「現実」というやつは、ことわれらニンゲンに関する限り、目耳鼻その他生身の五官はもとより、それ以外の第六感だの何だの全部総動員して取り入れるさまざまな刺激や情報の類を、えいやっとばかりに総合したもの、というわけでもないこと、少なくとも戦後本邦の「豊かさ」ごかしにあれこれこの世のよしなしごとを等価に平等に月旦する特権をうっかり手にしてしまったらしいこちとら世代の呪われた認識にとっては、いまさらながら言うまでもないこと、かの自然科学のどうしようもなく屹立し立ちはだかる壁のような牙城の偉容も知ったことかとばかりに嗤い飛ばすことのできる程度の能書きくらいなら、昭和末期から平成にかけてのあの爛れたような人文社会系の煮え立つ時代にこってり仕込んできてしまっている。だから、ああ、あの「都市伝説」にしたところで、ほんとにすんなりと自分ごと、魚が水になじむようなあたりまえ加減で理解することができたのだからして。

 「現実」を認識しようとする、その際におのれの生身の裡にどのようなからくりが作動しているのか、そのこと自体に意識を合焦してゆこうとするあたりが業としか言いようのないていたらくなのだが、しかし、日々呼吸をしメシを喰い消化し排泄しながら生きている、その過程を感知しながら、同時にその感知する過程をも頼まれもしないのにわざわざ言葉にし、意味の水準へと投げ返しながら、二重三重の感知や認識の回路を同時に作動させつつ生きる習いを手にしてしまっているからこそ、虚実皮膜、現実と〈リアル〉の間のぶよぶよしたとりめとない領分も含めて、この生身の生きている「現実」なのだ、という程度の前向きなあきらめを半ば信条として生きながらえる宿命に自覚的にもなれたというもの。