「日本は後進国」ってツイが流れていきましたが。
— 砂崎良【SazakiRyo】 (@SazakiRyo) 2020年3月19日
大使館を訪ねて「お国自慢」をインタビューする仕事をしてた時、かなり切ない思いをしましたよ。二言目には「日本のような大国ではありませんが」と言われながら「わが国のいい所は、皆がいつも笑顔で暮らしていることです」的なトークが続くので。
「日本は後進国」ってツイが流れていきましたが。
大使館を訪ねて「お国自慢」をインタビューする仕事をしてた時、かなり切ない思いをしましたよ。
二言目には「日本のような大国ではありませんが」と言われながら
「わが国のいい所は、皆がいつも笑顔で暮らしていることです」的なトークが続くので。
内戦の記憶さめやらぬ国、「国民」どうしが会話できない国、
「祝日には肉を食べます!(つまり普段は食べられない)」って国…多いんだなあと実感しましたよ。
200近い国がある中で日本は、
GDP世界3位
人口世界10位
面積だって61位なので上位1/3に入るんですよね。
で国境・治安も安定している。
そんな日本人に「お国のよい所は?」とインタビューされて、
「みんなが明るいことです」(…そういうこと以外言えるものがない、訳ですね…)と答える大使館員さん。
「お菓子を食べればよいのに」と言っているようなものですよ。
「ウチは後進国なのよ!」と言うこと自体が、フランス貴族なのですよ…。
三食満足に食えて、
日々命に関わる危惧を抱かずに、
「日本はダメな国」という贅沢な愚者、ですね。
他の国を見ていない。日本を貶す所だけを見ていますね。
いわゆる世田谷自然左翼©︎上念司さん、ですよね。高級住宅街でコーヒー飲みながら、恵まれないと文句ばかり言う。
日本より環境の良い国なんて世界中見渡しても殆ど無い。他国に比べて卑屈になる必要がどこにあるのか?自虐史観で育った方々の目を覚ますにはどうすれば良いのでしょう…
そういう価値観もあるんですね。
「わが国のいい所は、皆がいつも笑顔で暮らしていることです」
これが何より変えがたいと思うのは、私だけでしょうか…。
経済が豊かになって、心は貧しくなったように感じます。そういう意味で後進国なんじゃないかと感じる人が出てきたのかなぁ。
「これが何より変えがたいと思うのは、私だけでしょうか…」 ← あなただけじゃないと思いますが
「そういう国の人達が本当に笑顔で暮らして行けるのか」ってのは考えた方が良いと思います。
私は「あり得ない事を自国の長所としてアピールするしか無い国の悲哀」しか感じません。
日本は人口でも文化でも経済でも面積でも、むっちゃ大国やで。
世界はもっと小さい国々とか、力の無い国々によってできてる。
国土が広ければ偉いかというと、別にそんなことは無い。
そもそも「先進国」という言葉が「経済先進国」の略語であることを知らずに
「何事も他国より先進的である」というような意味合いで使っている人が多いような気がします。
まずは、その言葉の本質的な意味を正しく理解するところから始めなければならないのかもしれません。
戦前は「一等国」という言い方をしていた。
そのものさしが生きていたのだろう、敗戦後は「三等国」に「転落」した、と言われた。
「先進国」というもの言いがそれに置き換えられるようになったのは、なるほど、このスレッドで指摘されているように、「経済」がその国の優劣を測るものさしとしてクローズアップされるようになっていった頃だったような気がする。もちろん、高度経済成長の頃の話になる。戦争に負けて、何もかもズダボロになった「三等国」が、ひょんなことから考えていたよりずっと早く立直り、それどころかあれよあれよと「成長」して「豊か」になった。食うや食わずの敗戦国から、とりあえず国民の大方が飢え死にするようなことはなくなり、まだその先だって夢見ていいんじゃないか、程度には先行き明るいものを見るようになっていた。
「経済」というものさしが前景化されるようになって、でもその「豊かさ」にどことなくうしろめたさや、何より「どうしてこうなったんだろう」という素朴な自問自答にすら、まともに答えることができるだけの余裕や自省もしない/できない程度に、そのあれよあれよの速度は急だったから、その漠然とした不安や落ち着かなさを同じく一筆書きに表現できる便利な符牒として「心」や「文化」といったものもまた、とりあえず意識されるようにはなっていった。「物質的な豊かさ」と「精神的・文化的な豊かさ」という対比、あるいはあの「モノは豊かになったが、ココロは貧しいまま」といった、一時期このかた耳タコに聞かされるようになっていったもの言いなどと共に。
「経済」というものさしは、それを価値として考えるだけの下地もまた、用意されていた。それこそあのロストウなどアメリカ由来の「近代化」論がそれであり、同時にそれは、東西対立と冷戦構造を前提とした「東側」の社会主義理論前提の発展段階説に対する、「西側」からのカウンターとして準備されたものだったから、「豊かさ」が「経済成長」に裏打ちされて眼前の事実として展開し続けている当時の本邦においては、その圧倒的な〈いま・ここ〉の現実が下支えして、それら「経済」というものさしを軸にした優劣の価値観、「進んだ/遅れた」という一律の判断基準もまた、世間一般その他おおぜいの気分の裡にも、時代なりの「正義」として浸透していったらしい。
それからさらに幾星霜、21世紀初頭の本邦の置かれた状況は、その「経済」というものさしによって自分たちの立ち位置を確認する、習い性と化していたはずの身ぶりですら、改めてその足場を確認することから共に想定しないことには、なかなかうまく「そういうもの」として自明に機能することもできなくなっているらしい。