バカの責任・メモ

85年。バブル前夜。『新人類の旗手たち』連載中に、談志、円楽、色川武大の鼎談がひっそりと掲載されててる。

談志「親を裏切り、家族を裏切ってきたアプレ者であればこそ、庇護してやらなきゃならない。しかし、いまみたいな嬉々として来るようなやつは、庇護してやる必要ねえンじゃねえか」


色川「そのアプレというかバカが懲り固まらないと見世物にならない」円楽「それを引き取らなきゃ、だれが引き取るのよ。やつらがヤクザにならないだけましだと思って引き受けてるわけよ」色川「そうなると落語の問題ばかりじゃなしに、表現に携わってる仕事全般にかかわる問題だね。俺は他人ごとと思えない。みんなが同じじゃない、というのは、差別じゃないものね。昔は、落語家は特殊な人間であって、あいつは落語家だからっていうんで、何をやっても肯定された。その自由さに、カタギというか庶民が憧れた。それが、いま落語家にも庶民と同じ責任を持たせて、がんじがらめにしちゃった」


円楽「いまは「市民」のほうが遊んでますよ。われわれのほいは、遊ぶとすぐ変に書かれますからね」


色川「うん、俺たちのほうがよっぽとモラリストかもしれない。こんな真面目な話こそすれ、「市民」の方々ほど自堕落に生きてないからね(笑)」


談志「たとえばえいがを例にとると、撮影助手として大船に入ってくる。その撮影助手が撮影技士になろうという意識はあるわな。ところが、(落語界は)助手だけのつもりできてるやつがあまりにも多いな。顕示欲がねえンだ。ハグレ者には顕示欲があるよ。落ちこぼれにはねえよ。反発もしねえもンな」