『クレア』の時代・メモ

 今は昔、90年前後の女性誌『クレア』とか『マリ・クレール』って、バブルっという条件もあったけれど、広告さえ載っけておけば、後は編集者の自由裁量で、かなり好き勝手なことが出来る雰囲気があった。両雑誌でかなり方向は違ったけど、前者には昨日のツイートで紹介したオバタさんの「普通の人インタビュー」をはじめ、女性の社会進出と共に初めて表れるだろう「女の駄目人間」のためのブックガイド、元祖女性フリーター林芙美子を論じた大月隆寛の長大な批評エッセイ、デビュー前の坪内祐三によるマイナーポエット文学入門などが刺激的に並んでいた。自由なだけじゃなくて読者の現実に深く向かい合った語りかけに溢れていた。だから、当時出版、マスコミを目指すものはほぼ例外なく読んでいた。後者は今みると新しがったつもりのポストモ野郎の恥ずかしい悪文も並んでいたが、その中にしっかりバブルでも何でもない武田百合子『日々雑記』がひっそり毎月載っていた。そしていつか、俺も『クレア』の先輩たちの間に混じって良い仕事をして、憧れの百合子さんの隣に文章載っけるぞ!と意気込んでライターになった。


 今は、世の中も出版界も景気は雲泥の差だけれど、逆に言えばアパレル雑誌なんて、何やっても売れないでしょう?ならば、いっそ冒険のチャンスじゃないですか。それも内向きにセコい思想に閉じ籠るんじゃなくて、本気で付き合い語り合える読者を探しに行こうよ。今だってまだ、女性誌は本屋のいちばんいい場所に平積みになっている。アンチエイジングで最後まで財布を狙うんじゃなく、終活を煽って威かすのでもなく、当然フェミニズムなんて贅沢病のごたくで被害者意識を洗脳したりせず、ただ、それぞれに幸も不幸も問題も抱えた隣人として、出会いお互いを知る交差点を作ろうよ。
出来ることも、やるべきことも、山のようにあるじゃないですか!俺たちにやる気はあります。頼むよ!版元さん。

 『クレア』が創刊したころは、新しいカルチャー(サブカル)雑誌が出た感が有った。当時そこら辺のカルチャー系の記事が読みたくて、雑誌を手に取っていた(本屋で立ち読みしていただけだが)。でも暫くしたら普通の女性雑誌になってしまった。

 サブカル雑誌が出てきたというよりも、それまで若者向けのサブカルでしかなかったものが、王道の一般雑誌の特集にとりあげられるようになったんですよ。「クレア」も「マリ・クレール」も、メジャー一般女性誌だったのが、文藝春秋だとかそれまで定番だった総合雑誌がすっかり古くなり、それに代わるサブカルを新たなメインカルチャー、教養として扱って、男女ともに、新しい総合誌の代わりのように読んでました。「クレア」で初めて少女マンガ特集が組まれた時は、出版界全体の大事件のようになりました(一位「ポーの一族」二位「日出づる国の天子」)。その後、男性誌でも近い狙いのグラビア総合誌が立ち上げられたけれど(南京大虐殺は無かった記事で潰れた「マルコポーロ」とか)。その後、総合誌というもの自体が下火になって、共通項になるような雑誌が失われたまま今に至る、という流れです。


 今に至る、マガジンハウス系のいわゆる物欲カルチャーマガジンともまた違うのが独特ですね。本当のメジャー総合誌を持続することの困難を象徴してる。その後はせいぜいテレビブロスくらいだったけど、良くも悪くもサブカル糞野郎の交差点だったのが限界。


 浅羽さん、大月さん、オバタさん、「クレア」や初期別冊宝島。同時代で突出した仕事をしたし、よまれていた。けれど、結局出版界のイニシアティブを握って離さないのは鈍感な左派とオタクだから、彼らの仕事はいつまでたっても省みられない(初期の、最もフェアだった頃の坪内祐三は惜しみ無く評価していた)。だから、僕も微力ではあるが、今後もあくまで正当な評価な評価をつづける。


 しかし、基本的に物書きは一人一党。当時の彼らに欠けていたものの指摘と批判も記しておく。


 まず、彼らも逃れられなかったバブル期のライターの最大の弱点は、メジャー志向の裏返しである「偏愛の欠如」。ジャンルマニアのぬるま湯を越えて、「普通」に向き合おうとする矜持は大切だが(普通なんてない、と言葉の文脈を探ることもできない卑怯なヘタレに応ずるつもりはない)、普通を救えるものは普通ではない。普通から零れ落ちた時に、偽善的ヒューマニズムからパージされる彼らの最大のピンチが来る。


 それに対応できるのは、普通の中の処世をとく言葉ではない。普通から零れ落ちたとき、なお彼の孤独を救うものは何か。それは、神なき時代の信仰であり、失せたる一匹のための阿片に徹する文学だ。彼らは現実の間尺のなかで物事を解決しようという健康さをもっていた一方、ここを大前提とする人間の闇の深さを舐めていた。だから、合理的な説教は常にせせこましく、のっぺりとした技術論や、そこを強引に押し通そうと(隠蔽)する、閉じた脅迫を越えることができなかった。だから結局僕が頼りにし、救いや力を得ていたのは、例えば色川武大『うらおもて人生録』だったし、そこを自覚していた坪内祐三氏は、私小説の重要さを認め、木山捷平上林暁といった、実は現代に必要とされる作家の再発見を全力で促した。(実は同時期荻原魚雷氏も、尾崎一雄古山高麗雄梅崎春生といった作家の再発見を、自身の体験に根差した場所からはじめていた。坪内氏以外の上記メンバーは、恒産も人脈も持たない場所から、いかに醜くならず自分を支えるかという模索から、彼がこうした営意にたどり着いた意味を理解できるだけの、本質的な下積みの時間を持っていなかった。


 自身の不遇ゆえ、人の負の部分を深く知ると自負しているらしい浅羽氏さえ、やはり生身の空腹や不安を欠いた頭でっかちゆえに、ここの創造力は粗雑で概念的だ。


 例えば彼が「外山恒一を批判した時、若くして著作もある外山さんの周りに集まる有象無象云々」といった、まったくの空想からの批判を行ったが、これが事実とほど遠いことを僕は知っている。詳しくは外山自身がホームページで反論(というより、呆れての嘲笑)しているのでそちらを当たって欲しいが、ここでは浅羽氏の虚弱さと、人間観の浅さが端的に露になってしまっている。左派活動家は、浅羽氏のような小利口さには欠けた鈍感な連中ではあるが、彼が説く身体性と、それに根差した共同性は確実に獲得している。だからこそ、ここまで自力で生き延びてきた。彼らの「技術家庭」の実力は正当に評価し、虚心に学ぶべきだろう。それができないままだから、あんたはいつまでもケツの穴の小さい言い訳野郎なんだよ。あなたが、後輩に対してどんな不当な扱いと苛めをやってきたか、俺は知っているよ。人望の無さを思想に求めすぎる逃げからは、いい加減卒業しなきゃ駄目だぜ。


 坪内氏にも問題がある。たとえば、彼のお仲間の本好き趣味人に、たった一人でも福田恆存を読めている者がいるのか?弟子を含め、全部が全部、鈍感に思考停止した左派ばかりというのは、どういうことなのか?自分の見る限り、福田恆存を最も誠実に読み、かつ誠実に思想的実践を行っているのは、あなたが意図的に無視してきた浜崎氏であるというのはどういうことなのか?


 また、坪内氏は常々ポトラッチ書評の批判をを行ってきたが、では川本三郎氏に対してはどうだったか?僕は、呉智英氏による、川本氏の『マイバックページ』に象徴的な、鈍感無神経な自己愛についての批判をいったいどう受け止めたのか?僕自身は、呉智英氏の批判に完全に同意しつつ、川本氏のディティールへの着眼の積み重ねによる、坪内氏に通じるような、喚起力の鋭さについては高く評価している。しかし、坪内氏はここに対する正確なふわけが出来ているのか?