サブカルと権威の関係・メモ

 知人のリサイクル屋が緊急事態宣言で客が来ずネット販売に注力。壊れたガンプラや汚い菊人形の画像が場末のモーテルの様に点滅し横や後向きの画像に変化し「遺品整理品です」「MUST BUY」とか適当な説明を添えると物好きな客が数人、ピラニアの群れの様に毎日奪い合って在庫がなくなり今は閉店してる

 戦後すぐの物資欠乏期に焼夷弾が落ちた印刷工場の焼け跡に残ってた漫画の折を適当に繋いで表紙をつけて雑誌のようなものにして売ったら戦争が終わって何も本も雑誌も作られてなく娯楽に渇望してる人達に飛ぶように売れた話に近いかもしれません

 戦後双葉社が「実話雑誌」な艶笑ものゾッキ本を目して編集者の竹下一郎に雑誌を作らせたら海外の不思議話やそういうのの特集本にしちゃって、おめーはクビだ!っと怒鳴られたけど、馬鹿売れしたみたいな話ですね。その蓄積が後の大陸書房設立につながったとはいえ。

 わかります。中央に近い、もしくはアカデミズムに入ってただの権威になりました。新しい物を受容すると上から目線で論じ、下の世代と認識で齟齬が出ると、頑なに否定する。
こうした文化人(笑)が寄ってたかって評価するサブカル作品が嫌いになります。作品を神棚に祭りあげ権威にしてしまいますから。

 放送中や連載中にファンが気づき、評価して草の根的に人気が出た作品を権威化してしまう論壇がどうとでもシーンを動かしてブランディングしてそこで初めて盲従する人達が多いことに問題があるし、ここまでの社会状況の急変を機として、皆が自分の目を養い価値観を持つ様に目を覚ます時が来たと思います

 Twitterしてますが、本当は自分の好きな作品をあまり人に言いたくないというのはありますね。さんざん論壇で手垢がついた作品はつまらなく、むしろ前評判なしに偶然発見したものの方が面白い場合が多いです。前評判を知ると、どうしても他人のバイアスがかかった状態で読むことになってしまいます。

 普通の人の感想でいい作品に出会えることはあるんですが、論壇の評価というバイアスがかかると作品でなくコンテンツになってることも多いです。評価を気にせず自分の直感に正直なほうがいい作品に出会える気がします。不思議とポスターやジャケや表紙で自分でも良く判らずどきどきするものは当たりです。

 本当にそうですね。澁澤龍彦panpanya逆柱いみり先生、そしてエロ漫画の作家たちも、全部本屋で偶然出会いましたね~

 自分もpanpanyaさんはある日偶然本屋で目に入って知りました。面白いものは道端にぽつっと実物が目に入り、詳しい推薦文のようなものがなくても心動かされる動悸というか律動のようなものがあります。何かを求めて自分で歩きまわるって人間の初期衝動を喚起する上で必要なことなのでしょう