拝啓 岸田首相・メモ

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拝啓 岸田首相


 首相が「新しい資本主義」と主張された時、正直、私は期待しました。新自由主義で痛めつけられてきた日本。貧富の格差が拡大し、貧しい人は這いあがれず、新型コロナで生活がままならなくなった人が増えました。そうした人たちに光を当てる経済政策がついに始まるのだ、と。


 しかし、首相が「資産所得倍増計画」と言われた時、耳を疑い、呆気にとられました。「それでは『新しい資本主義』どころか、新自由主義、あるいは株主資本主義そのままではないか」と。その時の衝撃は、私ばかりではなく、多くの人たちも感じたようです。


 首相が5月にロンドンの金融街ティーで講演され、「資産所得倍増」を唱え、だから「日本に投資してほしい」と述べたこと、私は次のように解釈しました。首相は、「もし『新しい資本主義』で労働者に手厚く配分し、富裕層に課税するようなら、日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないか、と。


 海外投資家は今や、現物の売買代金で58.2%、先物の売買代金で73.0%と、最大の投資家となっており、もし日本が株主資本主義から足を洗い、投資家や富裕層に課税をするなどしたら、海外投資家からすれば、日本は魅力を大きく損なうでしょう。

 しかも、株主資本主義の先進国だった英米が、見直しを始めていると聞いています。そんな中、日本まで株主資本主義の見直しがなされれば、海外投資家は金儲けする場所を失ってしまいます。そこで岸田首相に働きかけ、「新しい資本主義」を改めさせようとしたのではないでしょうか。


 「資産所得倍増計画」なら、理屈としては、国民全員が株などの資産を持ちさえすれば、国民も資産所得を得る立場となり、首相が訴えてきた「新しい資本主義」とも理屈の上では整合する、と、首相に入れ知恵した方がいらっしゃるのでしょう。そうでもないと、この変貌ぶりは説明できません。


 しかし、首相もすでにご存じでしょう。2019年の調査では、日本人の半分以上の家計で、貯蓄が100万円以下しかございません。この人たちは、突発的なことがあれば貯蓄をすべて吐き出さねばなりません。株を買う余裕が一切ない方たちです。それが国民の半数以上です。

 貯金額の平均値は317万円、全体の53%が貯金100万円以下 「貯金実態調査2019」を実施


 新型コロナでさらに困窮した家庭が多いことを考えると、この数値はさらに悪化している恐れがあります。株などの資産を買うには、何年も使わずに済ませられる現金が必要です。しかし、そんな余裕もなく、新型コロナでそのわずかな貯蓄も使い果たした方が大勢いらっしゃるようです。


 従って、残念ながら、「資産所得倍増計画」は、国民の半数以上には、一切無関係な政策となる恐れがございます。もし、首相が全国民に日本の株を分配するというのなら別ですが、首相のこれまでのご発言から拝察するに、自らの貯蓄で資産を買うように、というご意図のようです。だとすれば。


 国民の半数には、「資産所得倍増計画」は無意味なものになり、資産を形成できる、多少なりとも余裕のある人たち、あるいは富裕層だけが所得を倍増させ、豊かな生活を送れる、ということになります。つまり、貧富の格差をますます拡大することになります。



 日本の労働者のうち、年収200万円以下が28.3%、男性は12.3%、女性は49.7%が年収200万円未満です。私の知人でも、関関同立の、関西では有名な私立大学出でも、200万を超えると「けっこうもらっているね」という感想になるそうです。低所得化が非常に進みました。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/02/dl/s0205-8a_3.pdf


 低賃金層が多く、貯蓄が100万円もない社会状況で「資産所得倍増計画」を推し進めれば、格差は広がるばかりです。しかも、「資産所得」のお金はどこからひねり出すのでしょう?それは、働く労働者が稼ぎ出したお金ということになるでしょう。株主は、労働者から搾取する形となります。


 となると、「資産所得倍増計画」とは、労働者からさらに搾り取り、低賃金化し、それで浮いたお金を株主に配分する、という、株主資本主義そのままとなります。それが果たして首相の望んでいた「新しい資本主義」なのでしょうか?首相への国民の期待は、裏切られたと申すべきではないでしょうか。


 なぜわざわざ、ロンドンの金融街シティで「資産所得倍増計画」の講演をしたのか。海外投資家から「日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないでしょうか。もしそうなれば、日本株は暴落、日本株の最大の所有者である日本銀行の信用がぐらつき、現在と比べ物にならない円安となったかも。


 首相はそれを食い止めるべく、「新しい資本主義」を「資産所得倍増計画」に読み替える、という苦しい言い換えをすることで、この危機を回避したのではないか、と拝察します。一国の宰相ともなれば、こうした腹芸が必要だと思いますので、やむを得ぬ仕儀ではないか、と、一定の理解をしてました。


 しかし、先日のNHKスペシャル中流危機を超えて」を視聴し、首相への信頼は、完全に崩れ去ってしまいました。この番組で登場した駒村教授(慶応大)は、低賃金の中でも必死になって働いてきた労働者さえ「企業依存」だとし、新しい仕事に順応できないなら解雇できる社会に変えることを示唆しました。


 成長分野に人材を集め、成長分野に順応できない人材は切り捨て、国が用意するセーフティーネットで救う、と駒村教授は提言していました。しかしこの主張は、たとえば竹中平蔵氏が20年来主張し、日本企業と政府が実践し、現在の日本にしてしまった政策と、瓜二つです。


 その結果、日本企業はイノベーションが起きず、雇用も増えず、賃金も増えず、イノベーションもだから起きない、という悪循環を続けてきました。竹中氏の路線がこの悪循環を生んだわけですが、番組で登場した駒村教授は、この政策をさらに強化せよ、と主張したわけです。


 このNHKスペシャルは、「政府寄り」と感じる方が少なくなかったようです。ということは、駒村教授に述べさせたのは、岸田首相など、政府首脳の方針なのでしょう。「新しい資本主義」は、派遣社員契約社員の形であろうとなんとか雇用してきたのを、全員解雇するものということになります。


 しかし、こんなことをしたら、「有能」とされたわずかな労働者と経営者、そして株主(富裕層)だけがお金を手にし、貧しい人は仕事も得られず、国から与えられるわずかな「お恵み」で生きていく、そんな社会にしよう、ということになります。ですが、この社会は成り立たないように思います。


 駒村教授の主張は、これまでの竹中平蔵氏の主張と違いが見えないくらいに一致しています。ということは、竹中氏と同様、「成長分野の邪魔をしないように、この分野には減税すべきだ」と主張することでしょう。すると、「有能」とされた労働者、経営者、株主はたくさんの利益を得ますが、国には。


 減税されているわけですから、国にはたいして税収が入ってきません。税収がないのに、多くの失業者に「セーフティネット」として、生活するためのお金を配分しろ、と駒村教授は言っているわけです。これでは国家財政が回りません。ということは、セーフティーネットはほぼ機能しないことでしょう。


 貧しい人は生きていくことができず、捨て置かれた状態になり、その憎悪は岸田首相をはじめとする、政府首脳に向かうでしょう。他方、「有能」とされた人、経営者、株主は栄耀栄華を楽しみ、しかも自分たちに向かうかもしれない憎しみは、政府に向かってくれるわけです。これは国家を危うくします。


 経済という言葉は、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う(経世済民)」からきている、ということは、首相もよくご存じでしょう。しかし、駒村教授の提言をもし実現すれば、富裕層はますます富み、貧しい人はますます困窮し、貧しい人の憎悪は政府に向かい、社会不安は増幅するでしょう。


 つまり、駒村教授の提言は、「世を乱し民を棄(す)てる」、乱世棄民の政策だと言えます。しかし駒村教授がNHKスペシャルに出演したということは、政府の考えでもあるのでしょう。だから、私は首相に抱いていた信頼が失われてしまった、と申し上げたわけです。


 しかし、今からでも遅くはございません。海外投資家をはじめとする、株主による「日本売り」を回避する腹芸は必要ですが、駒村教授の提言は無視すべきです。そして、日本で低賃金で苦しむ国民のために、その雇用条件の改善を目指す政策運営をすべきです。


 賃金の条件が改善され、生活にゆとりが出れば、アイディアが生まれやすくなります。それがイノベーションを促し、日本経済を浮上させる力になります。たとえ一時的に苦しくても、全国民的に賃金を押し上げる努力を、少しずつ始めるべきです。


 戦後昭和の日本が、2000年代に突入するまで、数多くの世界的商品を開発し続けられたのは、全国民的に生活にゆとりを持てたからだと考えます。しかし竹中平蔵氏による政策が2000年代初頭に始まってから以降、日本は世界で強みのある産業を次々に失いました。


 ということは、竹中・駒村路線は、結果的に日本を弱体化させる政策だと、歴史が示していると言えます。もうこんな政策は、続けるべきではありません。首相が「新しい資本主義」と語り始めていたころの初心に戻り、日本の強みを取り戻すべきです。伏してお願い申し上げます。

*1:Twitterに限らず、それ以前から、割とあるある、なこういう「提言」系の、それもそれなりに筋の通った言説、良くも悪くもこういう言説を紡ぎたがり、かつ、表明し、時に直接行動に訴えて「成果」を得ようとする自意識のありようと共に。

*2:それが「正論」であり、そうでなくても一定程度の説得力を持った言説であること、と、このような訴え方を、おそらくはある種の「正義」の自覚として行なうこと、それが「良き選挙民」のとるべき選択肢のひとつ、であるかもしれないことも含めての、要審議の必要。