「国鉄」時代のいいかげん・メモ

【犯罪じゃないほうのストーカーについて】

https://jstage.jst.go.jp/article/jie1922/30/3-4/30_3-4_95/_pdf/-char/ja

時効ゆえ云う。旭川で宗谷行各駅停車牽引 C55 1号機の光芒スポークを見てたら機関助士さんが「焚いてみる?」と嘘みたいな声掛。んじゃと隣の新旭川まで投炭した。あストーカーない、つーのが第一の感想でいまさらそれ思い出した。


あと、碇ケ関でキハ58の急行に乗り遅れて、茫然としていたら、たまたまそこにD51重連(前方補機)の貨物列車が入ってきて、車掌さん(あーカレチさんじゃなくて、なんていうんだろー)が、事情を聞いて、「ま、乗ってけや」とヨ(車掌車)に弘前まで便乗。これも、想い出深い


駅務室では、票券閉塞器を見せてくれるは(つか、まんまそこにあるわけだし)、ジアゾコピーのダイヤは見せてくれるし、掛ける相手があるのなら鉄道電話も貸してくれるし、よっぽどヒマなら薄い番茶淹れてくれて、四方山話をはじめるとか、まあ、そういう世界であったのよ


なんで、こんな話をやおら思い出したかというと、コロナで待機状態になっているのは、あーこれは「詰所」に居るということなのだなあ、と。お茶出してくれて、四方山話をしてくれた助役さんのキモチがよくわかるわけよ

国鉄時代は、長閑っていうかルーズというか、ボクもそれに近い体験がある。1975or76の小学生高学年のとき、青梅線河辺駅で停車中ED16の写真を撮っていたら機関士さんが「機関車好き?乗るか?」って中入れてくれましたよ。