Vtuberという存在・メモ

 最近、ようやく自分にとってのVtuberがどういう存在なのかハッキリと認識できて、「自分の部屋(ディスプレイ)の傍らで勝手にゲームとかやって盛り上がっててくれる顔と声の良い友人感覚の存在」なんですよね彼女ら。あと、うんちく系Vの人たちはまた別で、声を得たやる夫とかAA文化の延長線上の存在。


 自分の部屋にいて勝手にゲームしてくれてて、特に気を使う必要もないし(居たきゃ勝手に居ろ感覚)、盛り上がりっぷりが楽しいので、もう友達が家に上がり込んでくることもなかなか無く、自分でゲームを遊ぶ気力とかも少なめな我々にとって、本当にありがたい存在だと思う。

 「身近」な存在、というものに対する感覚の静かな、しかしどうやら確実な移り変わり。というか、同時にそれは「自分以外の他人」という存在に対する感覚の変化、ということのような。

 これ、別にその自分の部屋にいる自分自身と、何か関わって関係持ってくれることは想定してないんだよね。というか、その「自分の部屋」はそもそも「ディスプレイ」と初手から決め打ちしてきてるし、そのへん含めて言わずもがな。

 環境音楽、みたいなことが一時期盛んに言われて、いや、今もまだ言われてるのかもしれんが、何にせよそういう「(身の回りの)環境」をどれだけ「快適」にしておけるのか、というのが、商売の大きなミッションにもなっていった過程があるとおも。

 これ、「便利」からシフトしてさらにその先、だったとおも。つまり、「便利」はまだ具体的な「用」においてのこととして考えられていて、だから何か「道具」なりブツを介してその「便利」を導き入れること、が「豊かさ」を実感するわかりやすい媒介だったから、それらブツを手に入れる≒「買う」ことに誰しも合焦してゆけたわけで。

 でも、それがひとめぐりあらかた半径身の丈で充足されて、そこそこのわかりやすい「便利」がおよそまんべんなく提供されるようになったら、次は「快適」にシフトしていったんじゃないか、と。「便利」を提供してくれるブツとしては同じでも、それが武骨で実用本位だけだと何となく居心地悪い、一応は個室が配給されるようになった個人の部屋でも、古い和室のフォーマットのままで押し入れ襖障子がむき出しにあって、天井からは蛍光灯のペンダントがぶら下がっているようなしつらえだと、たとえ広さが四畳半でない八畳でもそれ以上でも、何となく満足できない、そういう意味での「快適」を求めてゆくココロが必然的に芽生えてきた、と。

 衣食住のうち、敗戦後はまず食が、そして衣が満たされ、住が最後に、という説明があって、それはもちろん一応の説得力がある程度に戦後のわれらの生活史の流れとしてあったんだけれども、ただ、その「満たされ」の中身もまた、それらが概ね充足されたその次に、それまでと違う角度から問い直されていった、というのもまた、同時に言っておかねばならんのが、敗戦後半世紀以上、すでに80年近くたっちまった昨今の「歴史」の語り方の難儀なところではあり。

 「おいしい生活」なんてのは、そういう意味じゃ、まさにその「快適」を煮詰めて結晶させたようなプロパガンダの一撃、ではあったんだなあ、と改めて。

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*1:このへん、もちろん〈そこから先〉が重要だし、本題にならねばならんのだけれども、とりあえず備忘的に。

*2:「快適」を実現させてゆくための消費がどのように日常を再編制してきたのか、それはどのような言葉やもの言い、装いと共に半径身の丈に浸透してきたのか、といったあたりの大きな問いとして。