小林よしのりの功罪

 かつて小林よしのりに魅せられた若い衆が、その後そのままで未だに「信者」のままになっているような率は、巷間言われたり考えられたりしているらしいほどには、実際にはそう高くないと思う。で、それはそれでそういう時期に邂逅すべき読みものとして役割を果しているし、その限りでそれなりに意味あるものだと思っている、これはマジメに。それこそかつての本多勝一なんかとある意味同じような意味で。

 ただ、そういう読みものの類が昨今、ひろゆきホリエモンやDaiGOになっているのだとしたら、それはそのかつての小林よしのりやホンカツなどとは少し意味が違ってくるようなところは、確実にある気がする。

 うまく言えないのだが、それらの前提となっている〈知〉なり「教養」なり、そういう「いずれ身につけるのが望ましい、生きてゆくための知恵や知識≒ある種の良識」みたいなものが、そもそもすでに世代差を越えた地続きではなくなってる情報環境にもはやなってしまっているわけで、そのへんの違いは「若い頃くぐっておいた方がいいもの」という位置づけを、いまどきのそういう読みもの類からは喪失させてしまっているように思う。

 これは割と未だにひとつ話として言っていることなんだが、かつて地方競馬がらみでライブドアの幹部と農水省若手官僚との間を繋いだ時、見ているものはどちらもおそらく同じもののはずなのに、それを言葉にする文法その他たてつけの「違い」を決定的に思い知らされた「翻訳不能感」みたいなものにも、このへんは近いように思う。

 ある種の当時蠢き始めていたそれまでと違う〈いま・ここ〉の〈リアル〉。その頃のライブドアらが「経済」という言い方でしか表現し得なかった何ものかを、彼らとほぼ同世代な農水省競馬監督課の若い官僚も「見えていた」のは間違いない。間違いないのだが、しかし、その互いの見ているはずの同じものを言葉にして共有する前提もまた絶望的になかった、と。

 本来なら「ジャーナリズム」なり「評論」なりがその間を「翻訳」して示してゆくのが役回りだったはずなんだが、残念ながら自分も含めて、それを当時世間にうまく説明してわかりやすく提示することができなかった。金融経済的な「それまでと違うもうひとつの〈リアル〉」が隆起&前景化していった時期。

この すれ違い?通じなさ?言葉にして共有する前提がない。この際に具体的なやりとり 様子 もっと知りたいです。

あの当時のマスメディアの影響を知らないというのも時代何だろうけど、麻生コピペを出すまでもないし、民主党を夢想と因縁だけで与党にした時以上の力が有って、本当の真価が理解出きると思う。
コヴァと呼ばれてもあれ以上マトモなモノが一般に出回らなかったし、マスメディアも封殺していた程。

(^_^)ノ自分の事でしょうか?(笑)

思い出して顔真っ赤になるのでその話はここまでにしていただきたい。
悶絶して叫びながら転がりそうになる🙄

「若い時に共産主義に憧れるのはいいことだけどいい年してもまだやってたらタダのバカ」みたいな感じかな。小林よしのり本多勝一は確かにハシカみたいなもんだなあ。
いい年して免疫持ってないで感染すると大病になるのも似てるのだ。
精神に免疫を得る為の大切な牛痘的存在w