「そういうもの」の弊害・断片

  違うのだ、「主義や思想」がとにかく先に刷り込まれてしまうと、それを介して〈いま・ここ〉を呼吸するようになってしもて、「事象や歴史」も全部それ介したカタチや色合い、解像度にしかならんらしいのだ

 面白い面白くない、とかではないのだ。

 すべてが「そういうもの」になって、「そういうもの」でしか日々生きとらんようになるのだ。

 その仲間同士ではその「そういうもの」の「そういうものっぽさ」で常時相互マウントが行われて、失敗するともうそこで「なかったこと」にされてしまうのだ。