大学現場の教育力・メモ

https://twitter.com/_0ranssi_/status/1446712425227513862

 「問題学生を搦め手の指導で卒業させてた高田純次系教員が退官して真面目な教官ばかりになり、問題学生が適切な指導されずにいる」という話に「義務教育じゃないんだから卒業させなくていい」「正常(清浄←マジに書いてあった)になった」という反応が散見されて、複数の問題がここで煮詰まって文字数


 特筆すべきなのは、自己責任系限界中年じゃなく、脱ネオリベ!自助なんて殺す気か!みたいな論調の高学歴なみなさんがそういう答を叩き出していることで、従来指導できていた学生に指導者の同質化により対応できなくなったという事態を「指導者の力量不足」と捉えられないというの、致命的だと思う。


 真面目な?教官が定性的な指導をすれば学士を修められる学生、教官がハリボテでも卒業できていた気がするのだが、教官の対応力が落ちているから取りこぼすことを「あるべき姿に戻った」「ダメな人材が振り落とされるだけ」としか思わない集団には決して舵取りを任せられないというひとつの典型である。


 仮に大学は「そういうところ」でいいとしても、そこで取りこぼされるようになった人間がそこで消えてなくなってくれるわけじゃないのだから、包摂できる人材になんとか育て上げるという責任感とかないのだろうか。教育者名乗るのやめて欲しい。