ささやかな社会貢献

 自分は自分を「学者」とも「研究者」とも思うとらんし、そう呼ばれるのも正直居心地悪いし、何にせよ外道で規格外の物件という自覚だけはまともに持っときたいと思うとるが、それ前提でなお、ものを考えること、考えてそれをできる範囲で世に還元することは自分にできるギリの社会貢献だろうともおも。

 先人らの書き残してくれたものを拾って、〈いま・ここ〉に棲む目線から編み直しながら読んで、それをまた文字に書き残しておく、そうすればいつかまた残ってさえいればどこかで誰かが自分と同じように拾って、いつかその将来の〈いま・ここ〉から編み直しながら読むことがあるかもしれない。

 それに何の意味があるのか、尋ねられたら困るのだけれども、ただひとつ言えるだろうことは、そうやって「これまで」と「これから先」を、たまたま〈いま・ここ〉を生きて呼吸している自分を介してつなぎ得る足場を残しておく、そうすればいつか誰かの役に立つかもしれない、それは信じようとしている。

 「大学」や「学問」にそれほど恩恵を受けてきたわけでもない。それなりの想いや仰角の視線はあったが、それ以前に、それらの場所で自分が接してきた人がたの大方は自分にとって縁のないものだったし、それはその人がたにとってももちろんそうだったろう。縁なき衆生だったのだ、そういう場所の自分は。

 それでも、本当にこれはありがたいことだったと心底思うのだが、そんな中、何ものかに守られていると感じる局面はわずかでもあったし、また信じるに足る何ものかを感じさせる人がたにも行き会うことができた。時代がよかったというのもあっただろうし、またそれを昔話とだけ聞き捨てるのも致し方ない。

 何にこだわり何をお題にしているにせよ、誰に向ってそれを書いているのか、何をよすがにそれを考えているのか、仮にそれがどんなくだらないものにせよ、その向かう先をどのように想定しているのかがまず見えない、わからない、言葉にもしようとしない、そういう同時代には深入りしないようにしてきた。

 だから、理解などされるわけがないしそんなものあてにすること自体烏滸がましい、そう思ってきた。実際、若い頃はまだしも、年を食い我儘勝手な世渡りが積み重なるにつれそのツケは廻って、身近な味方、頼りになる日々の関係がほとんどなくなっていったが、それもまた「そういうもの」でしかなかった。