「死」が肯定的に・メモ

 アニメの変化として私が注目しているのは、【死を肯定的に捉えるようになってきた】ということ。


 ドラゴンボールみたいにどんどん生き返るのでもなく、厭世観から死にたいと思うのでもなく、死を免れようと思えば免れることはできるんだけど、それでも善く生きて善く死のうと訴えかける。


 例えば鬼滅の刃がそう。鬼になれば永遠の命を得ることができる。でも、その価値観は主人公サイドからは一蹴される。今見てる作品では『最果てのパラディン』。アンデットとして(以下略)なだけでなく、正に善く生きて善く死のうという誓いを立てる。さらに主人公が極めて信心深い敬虔な司祭で、上司の偉い宗教家もバブル期以降よく描かれてた強欲放蕩宗教家かと思わせてドンデン返し!っていう…。それだけでなくお金儲け自体をナマグサと捉えず、大志のために必要な苦労と捉えている。若い世代の変化を敏感に捉え、着実に押さえてきてる。


>死を免れようと思えば免れることはできるんだけど、それでも善く生きて善く死のうと訴えかける。


 補足
 死を免れようと思えば免れることはできるっていう設定の世界観なんだけど、その選択肢は取らず善く生きて善く死のうと訴えかける作品が目立つようになってきたように感じる


 あと、以前より死後の世界に比重を置いて丁寧に描くようになってきたかな。ここで言う死後の世界っていうのは黄泉の国みたいな感じではなく、大切な人がいなくなった後のこの世で、亡き人の行いの影響が残り続ける感じ。


 バイオレットエバーガーデンとかもそうじゃん。昔で言うとダイの大冒険のアバン先生的なポジションがいっぱい描かれるようになった感じ。