「うる星やつら」リブートと「内面描写」のパラドクス・メモ


 そう言えば、「令和版うる星やつら」で内面描写が無いとの話があったけど、80年代のうる星やつら押井守のアレンジでメガネなどが自分語りするの、あれ、原作が内面描写を端折ってたのを、当時の「物質が豊かな時代」のアンチテーゼとして、精神性も大事にすべきでは、とアニメで内面も描いたのでは。


 80年代のオカルトブームがもソレなのだ。物質文明では解明できない事がきっとある!の流れ。その流れで若者の一部がカルトなどオウム真理教に傾倒してしまい問題になった。


 つまり、リブートされた高橋留美子の原作準拠のうる星やつらアニメが、令和に放送される意義は、つまりは「あの時代よ再び!」と言う願いもあるだろうなので、物質文明へのアンチテーゼの内面描写は、今回は不要なのだ。そんな景気いい時代じゃないし、物質へのアンチテーゼはいらないのだな。


 人物の内面描写のある物語、アニメは令和には山ほどある。なぜなら、景気が悪い時代は、作りやすいし、クリエーターもそうした思考になりがちだから。だけど、視聴者としては、「もうそういうウェットな物語はお腹いっぱいなので、湿っぽく無いやつないの?」との希望が出てくる。


 しかし、不景気で生まれ育ったクリエーターは、ウェットな時代しか知らない。それなら、それ以前の景気いい時代のドライで明るいお話をリブートすればいいのだ(リスペクト込み)、となる。そこで「うる星やつら」なのだ。