1981年9月頃
— 宮尾岳 (@GAKUJIRA) 2022年1月1日
「うる星やつら」がTVアニメ化される事となり、スタジオぴえろの仕事をニルスから受けたいた我がスタジオも参加となった。
「宮尾くん、こういうの好きだろう」と先輩に言われ、原画を描く事に。
いや、先輩
好きだけど
好きだけどな
これはちょっと…
1981年9月頃
「うる星やつら」がTVアニメ化される事となり、スタジオぴえろの仕事をニルスから受けたいた我がスタジオも参加となった。
「宮尾くん、こういうの好きだろう」と先輩に言われ、原画を描く事に。
いや、先輩
好きだけど
好きだけどな
これはちょっと……になったのは、渡されたアニメ用のキャラクター表に違和感を感じたからだ。
なんと言うか「タツノコ味がする」
元々ぴえろがタツノコの分派と言えるから、そりゃそうだなんだが…
怖かったのだ。
キャラ表無視して原作の絵に寄せそうな自分が。
そんな予感はTVアニメが始まって現実となった。
同じように感じてた奴らが、キャラクター表を無視して【俺のラム】を描き始めた。
本来それはあってはならない事だ。
だが、決まってそういう回のほうが「ノリがいい」
正しいかどうかの前に「面白い」があったら
うる星やつらではそちらが勝ちなのだな。
僕はそこまで弾けず、真面目に描いてた
うる星やつらはまさかのロングランになり、劇場版も作られる事に。
僕も参加した。
長いフィルムのために、作画監督は都合3人立てられた。
なので前半、中半、後半でキャラクターが微妙に違う。
そんなのでも押し通すようになっていたんだ。
今では考えられない事ですが、当時は作画がコロコロ変わる作品多かったですよね。ダーティペアなんかも毎回絵が変わってて、うる星やつら同様、「今日は当たりだ」とか「はずれだね誰だこの絵は?」なんて言ってたものです。その頃からアニメファンは作画監督の名前をチェックするようになりました。
むしろそれでファンの方もアニメーターに興味を持って名前を覚えることができた
それぞれのアニメーターの個性を楽しめた(生まれる前なので聞いた話になるけど)
ここは誰、ここは誰と、書いてるアニメーターを判別できる回が結構ありました。
今じゃありえないですよね。
当時のアニメファンは、そのキャラクターの違いも楽しんでましたね。
「ビューティフル・ドリーマー」のラストで校舎の階数が違う、悪夢はまだ続いているのか?って言われていますが、BSマンガ夜話で関係者が「テレビ版でもしょっちゅう階数違ってますよ」と聞いたときは驚きました。