「東京に出ること」の東西差

 青森出身の妻と熊本出身の自分とで「東京に出ること」の価値観が全く噛み合わなかったなこないだ。


 東京に出ること、大都市を指向すること、地元にいられなくなること、地元を捨てなければならないこと、そういう物事への価値観が南日本と北日本で全く違った。


 熊本は政令市の南端として一定の地位を保ちながらも、仕事がそんなにあるわけではないので福岡・広島・岡山・大阪も移住の選択肢に含まれる。数多くの中からどこを選ぶかという問題であって……でも青森は違う。東京以外に選べず、東京に出ていけないならどうにもならない。らしい。実感はある。


 もちろん途中に仙台もあるのだけれど、あそこはそこまで大きい街ではないので上澄みでなければ残留できない、小さくなった横浜のような街。そんなわけで青森県は閉塞感が熊本とぜんぜん違うらしい。

 「北」の閉塞感、関東平野以北のにっぽんの〈リアル〉については、未だに世間一般その他おおぜいレベルの認識において、死角になっていると痛感することは少なくない。かくいう自分自身、正直まだよく実感できていない部分が多々あるとすら思うことしきり。それは、たとえばあの「東北」というくくり方のずさんさと共に、当のその「東北」に生まれ育った人がたの日々の感覚としても、どこにその「東北」の重心がかかるものか、象徴であれ何であれどこか収斂してゆける地点があるのかどうか、さえも漠然とぼやけたまま、という現実に否応なく連なってゆく。

 人口集中した政令都市というだけなら、仙台で代表させることもできなくはない。けれども、「東北」各県の住民達の感覚として、仙台が自分たち「東北」の象徴的な土地でありマチである、というのは、まず持ち得ないだろう。このへん、なんだかんだ言いながら、たとえば博多・福岡で「九州」を代表されてしまっても、個々にいろいろあれど、全国区レベルの見られ方としては仕方ないかな、といった程度の共通理解に近いものがある(ように思える)のとは、かなり事情が違う。

 「東京」の意味もまた、それら「地元」感覚の事情の違いに伴って、距離感や遠近感、そこに込められ得る切実さの度合い、などなど、実は今でもなお相当に彼我の距離があるものになっているのだと思う。

 まして「北海道」になると、さらに〈それ以外〉の領域になってくる。津軽海峡以北/以南、という言い方を自分は敢えてするようになっているけれども、本当にあの海峡をはさんだ向こう側には、「日本」というくくりとはまた違う、何かもっと茫漠ととりとめない拡がりが未だにそこに「ある」ように思う。もちろん、それもまた、その場所に生まれ育っていまなおそこにいる人がたの最大公約数のココロやキモチの上にさえ、うまく合焦されているものでもないらしいのだけれども。

 ひとつ、新幹線網の発達によって、ここであげられているような「東京」、そしてそこと「地元」との間の距離感や遠近感、切実さの度合いの違いも、それまでと違う形で顕在化してきたのかもしれない、ということは、ひとまず備忘録的に書きとめておこうと思う。そういう意味でも、北海道新幹線の札幌延伸、「地元」としての北海道の意識にとって、どのような影響を与えることになるのか、見届けておく必要があるのだろう。