東京と田舎、向都離村の現在・メモ

 文系オタである辺境の越後人としては、「あったいいなと思うものが色々」というところ。美術館とか、図書館とか、映画館とか、大きな本屋とか、こだわりの本屋とか、ブックカフェとか、そういうもの。山や海の側に住んでいるけど、あんまり興味もないのが正直なところ。


 私は「新潟には何でもある」と思ってる人間なのでよく分からないのですが、「新潟には何もない」と言う人は、一体何が新潟にあれば「何もない」と思わなくなるのか、とても気になるところです。


 只、自分にとって故郷とか祖国というものは「家族・身内」みたいなもので「好きでも、嫌いでも縁がなかなか切れない」という感じ。だから、切れないなら嫌いでいるよりも、なるべく好きでいた方が色々都合も良かろうなぁ、と。


 勿論、「相性」というものは故郷にせよ、家族にせよあるものだから、それが我慢出来ないという人は人生の河岸を変えるのも又人生の選択だと思う。自分も若い頃は田舎が嫌だった時期もある、気持ちはわからんでもない。田舎的な価値観、文化、全てが疎ましい時もあった。


 比べるのも僭越な気がするが、同年代のタレントで魚沼出身の大桃美代子さんが「上京した頃は自分の出身を忘れたかった」とか言っている事があり、あ~わかるなぁと。自分は東京ではなかったから、そこまでは思い詰めなかったけど、田舎から大きな街に行った者には出自にコンプレックスを持つ人もいる。


 今、大桃さんは地元で米作りなどしているようで、多分に「功成り名を遂げて、故郷に錦を飾っている」から出来る面はあると思う。私の同級生、特に女性で「田舎は嫌だから、絶対帰らない」と言っている人もいた。今もそうかもしれないが、田舎は男性に比べると女性にとって人生の選択の狭いような感じ。


 コロナ禍での最近の全国的な人口移動動態のデータなど見ても、女性の地方から東京への流入が多いところを見ても、その辺余り変わってないのかなと思う。自分は男で長男だから、その辺でUターンしてもアドバンテージがなにがしかあったという事は言えるかもしれない。


 その辺、今の界隈の若い世代を見ていると、相変わらず東京志向は強いようだけど、私の頃のような「何が何でも東京!」みたいな執着心が強いようにも見えない。選択肢というのか、「東京が良さそうなら東京、そうでなければ県内でもいいや」みたいな肩の力の抜けたムードを感じる。


 都市と地方の格差というのが無くなったわけではないのだけど、ITとかのお陰で昔よりも縮まっている感は確かにある。だから、自分達みたいな「田舎から出なくちゃ!」という切迫感が薄いというか、その辺は羨ましい感じ。


 只ね、上京組の同級生なんかで「定年後は田舎帰ってのんびりしたいな」とか言っている人もいるが、まぁどうだろうねぇ・・・故郷だと思ったら異郷になっている人もいるかもよ。自分も7年ぐらい離れた後でUターンしたら、しばらくギャップあったもの、色んな事で。


 以前、まだ小学生だった甥っ子に「外の世界で暮らした事」について聞かれた時には、「一度外で暮らしてみるのもいいんじゃないか。外が気に入るかもしれないし、やっぱり地元がいいと思うかもしれないし。知らないと比べられないから」とは答えた。


 「今住んでいるここが気に入らない」というのは本人にとっては紛れもない事実なんだが、今住んでるところじゃないところが本当にマシなのかどうかは、住んでみなけりゃわからない。自分は田舎が嫌で外へ出てみたら、外は外でいい事も嫌な事もある、という当たり前の事がわかっただけだった


 只ね、自分の故郷ではないところで根を張って生きていく、というのは根性ないとダメだというのはわかった。仕事が出来る内はまだいいが、人間は皆その内に仕事が出来なくなる。その時までに根をしっかり張れるか、という自信が自分にはなかった。歳取ってから、「やっぱり田舎戻ろう」は何か嫌だった。