父がヤクザだった話・メモ

 私が4歳の時、母は父と一緒になった。パンチパーマで強面の人だった。何も持たずDV夫から逃げるように転がり込んだ。父の部屋に行くと「タンスの下を開けてごらん」中にはキキララやミニーちゃんのかわいい生活用品がぎっしり詰まっていた。一体どんな顔して揃えたのだろう。


 動物に好かれて優しくて、ちょっかいを出したら「意地悪するな!」って言われた。
 友達を家に連れてきた時「トイレ貸してください」と言われ「ちゃんと返してね」と精一杯の冗談を言ったつもりが逆に「返さなかったら俺どうなるんだろ!海に沈められたかな…」って怯えてた。


 同じ頃クラスメイトに「ムヨシちゃんのお父さんってヤクザ?」と聞かれた。親に聞いてこいと言われたのだろう。
 まわりのヤクザと呼ばれるおじさんは優しくてパンチパーマだったので「そうだよ」と答えた。罪である。次の日から知らない人のお母さんまで挨拶してくるようになった。


 いじめられた時は「学校なんて行かなくていい!」と言ってくれた。その後母を連れて学校に乗り込んだらしい。ヤクザみたいな親父が学校の真ん前に車停めて担任に「お前じゃ話にならん教頭と校長を呼べ」と立派なモンペである。(結果相手から謝罪の電話が来ていじめはなくなった。しかし全校で浮いた。)


 中一の時父が死んだ。葬式にガチのヤクザが来て「○○組で組葬をさせてほしい」と言われた。誰もが本物だったんかワレと思った。父は家庭に恵まれなく面倒を見てくれた人がその筋だった。


 ヤクザだけどクッキー焼いたよ!みたいな人で、手先が器用でテトリスはいつもコサックダンスだしお気に入りの毛布が破れた時は綺麗に縫ってくれたし、アホほど胡椒の入ったもやし炒めすごく美味しかった。雀荘の名前決めるのに私のりぼんやなかよしを読み漁ってた。初婚で本当は子ども欲しかったろうに私が寂しい思いをしないよう子どもは作らなかった。そんな最高の親父のことを思い出した。 #父の日


追記:器用な親父なんてどこにもいると思うだろ?親父片腕なかったんだ。子供の頃事故で。私は両手あってもテトリスは□と長い棒しか許せないし縫い物もできない。血は繋がってなくても爪の垢煎じて飲んでおけばよかった。

 父の日になんとなく呟いた思い出がこんなに伸びてしまいましたが…とくに宣伝することもないので書き足しを。


 母は不倫?→お金がなく私が寝てから飲み屋で働いていた母。母に惚れ込んで毎日通ってきたのが父。口数少なくただ飲んでるだけの人で事情を話したら「来い」と言ってくれた。交際0日です。


 ヤクザなんて悪どいことやってるだろ美談にすんな→私はその道に詳しくないので仰るとおりかもしれません。


 母が「あんた組に入ってんの?」と一度だけ聞いたら「入っていない」と言いそれ以降は聞かなかったそうです。


 ちゃんと働いていたし、組からお金も貰っていませんでした。


 人を苦しめるのはチンピラと三流ヤクザです。


 本職の知り合いが多かったし、組葬をあげれば組にお金がはいるので今思えば来るんですよね。昔のことなのでなにもわかりませんが。