「もののけ姫」の世界観・メモ

山犬一族やイノシシ一族に小型化、低知能化でもう先がないこと(だから乙事主は死に場所を求めてきた)、
シシガミ(≒森)は必ずしも獣たちの味方ではないこと。
エボシ御前(近代人)は既成秩序(朝廷とアサノ公方)ともかち合うこと。
ジコ坊は単なる現場担当の中間管理職なこと。


全部描かれてます。

もののけ姫

「山犬一族は縄張りを守っているだけで森に仕えている訳では別にない、けどそのことが理解できず山犬になりたくて森に仕えようとする少女」
「近代化の善悪両面を体現し、主人公を気に入り半分で利用しようとする女傑」
「ノルマに追われる政府軍情報部」

の話でもあります。

もののけ姫、モロの君はシシ神の『鎌倉武士の御家人』『従っている同盟者』『八分二分の盃の兄弟分』な感じなんですけど、サンは『戦国以降の家臣団』『舎弟』なのですよね。作中の言動からして。まさに作中、室町末期に起こった武家社会の変化が、親子二代で起こっているのだろうか。

もののけ姫』がハリウッド映画だったら、

・モロの君と乙事主の性別逆(強くかしこい狼の父親、死に場所を探す女戦士)
・サンは父親モロに認められたい
・エボシ御前が今は亡き夫orゴンザあたりに精神的に依存している
・たたら場の石火矢衆にマヌケなコンビがいる

とかありそうです。

「老人」「年寄り」の音楽体験・メモ

*1

 もし自分が介護施設で音楽を聴くなら安室浜崎世代のJPOP、一瞬流行ったメロコアや友達が好きだったoasis系、スラダンから始まるアニソン集…すべて捨てがたいので、これらが朝のお散歩プレイリスト、雨の日ポップス、真夜中のおすすめアニソンみたいな感じで自然に流れてくる優しい世界を希望します。


 亡き父も、デイサービスで演歌や童謡を合唱させられて困っていました。だって、うちの父は若い頃からJazzが好きだったから…。職員の方から「お父様はいつも一人でポツンとしています」と心配して頂きましたが、お気になさらず、父は皆さんの賑やかな声を聴きながら一人でいるのが好きなのです…と返答。

 必ずしも集団に入りたい人ばかりではないし、入りたい集団ばかりではないし、誰しも一度くらいは経験することなのに、全体を見なければならない立場になるとその発想を持てなくなるというのは興味深いですね。

 正にそれ!私の経験でも90歳ぐらいのおばあさんで昭和20年代の日本の歌ではイマイチ反応が悪かったのが、戦後直後のジャズとかをかけた途端にノリノリに…。神戸だったので地域性もあったのかも。よくよく考えたらジョン・レノンだって生きてたら今年80歳ですからね。

 昔「ロッキング・オン」のネタで、かつてパンクスだった老人がホームに入るような時代が来たら、"Oi! Punk"よろしく"老い!パンク"でスタンディングで盛り上がるというのがありましてな……活動の有効性はあるのでしょうけど、個人の嗜好を画一的にやるのも如何なものかと。

 そのうち「わしはいくつになってもこの歌らが好きなんじゃ~」と強弁をふるって、アニソンやゲーソンを周りが嫌がる中歌いだすオタクをやり続けた高齢者が老人ホームのあちらこちらに紛れ込むことも予想されますよ。


スタッフA「ここのおじいちゃん達はガンダムを流しておけば大人しくしてくれるから楽ね」
スタッフB「気を付けて、その部屋は宇宙世紀でないと怒りだすのよ。あと、隣の部屋は銀英伝だからね」


 海外だと御年70歳のジーン・シモンズのところへ慰問に行き、カントリーを歌って地獄の業火に焼かれるような。

 デイサービスで演歌や童謡を歌わせるのを、もうそろそろ止めた方が良いのでは?と、思う。
介護サービスを受ける高齢者も、戦争を知らない(幼くて覚えていない)人が増えてきていて、音楽といえは洋楽❗と言う人がいるのも自然な流れ。

*1:「高齢者」のステレオタイプが現実と乖離してきている問題。音楽その他サブカル体験をどうそれらの現場に織り込んでゆくのか、というお題の一環としても。

当事者性の氾濫・メモ

 この「当事者性の氾濫」は、「森羅万象を政治化すること」と表裏一体である。「当事者性の氾濫」下においては当事者であること以上に「当事者になること」が強調されているように思えるが、これは、自らの置かれた状況を特に政治的ではないと思っている人々に対して様々な仕方で呼び掛けている。


 「当事者たれ!」という声は、自らの置かれた状況の当事者となることで、その状況の政治性に気付けということを意味する。イデオロギーや公共政策の主体となることがなくとも、自らの日常の当事者へと生成変化することで、その些細な日常を政治的なものとして捉え直すことが出来る、ということである。


 こうして、非政治的と思われていた身辺の話が政治化するということは、個人的な経験におけるあらゆることが政治化されることと同義である。「個人的なことは政治的なこと」となる。両親や恋人との関係や職場での人間関係も、「当事者」という主体化の下そのままに政治的な事象として政治化される。


 しかし、個人的経験をそのまま政治化するにせよ、政治化する以上はその経験を政治的な言葉で彩らなければならない。そこで、「人権」「まなざし」「構造的暴力」「累積的抑圧経験」などその他諸々の術語が召喚される。「マンスプレイニング」なり「シーライオニング」なりといった新造語も召喚される。


 何故個人的経験を政治化する際にそれを何らかの意味で政治的な言葉にわざわざ翻訳する必要があるかと言えば、何か或いは誰かを明確に友とし敵とし、その経験を政治的な問題として共有せねばならないからである。「当事者性」ではない当事者が、忘れ去られていくことがあるのもこの局面においてである。


 本当の問題は、個人的経験に「当事者性」を付与することで政治化する際に使われる言葉は、それが公共的な言葉を意味しているようでありながら、飽く迄も当の個人的経験を意味内容とするものでしかない、ということである。少なくとも、両者の間には必ずズレが生じている筈である。


 しかし「当事者性」の政治では、そのズレ、すなわち或る言葉が個人的経験を説明する際の意味とその言葉が公共的に持っている意味のズレは寧ろ問題ではなくなる。寧ろ敢えて両者を区別しないことが、「当事者性」という概念、「当事者となれ」という呼びかけの本質なのである。


 こうして、或る言葉が個人的経験を説明する際の意味とその言葉が公共的に持っている意味のズレは寧ろ問題ではなくなる時、「当事者性」は氾濫する。誰もが個人的経験だけを、そのまま政治的なものとして生きる世界が到来する。或る問題の当事者か非当事者かの区別も、二つの意味と共に融解する。


 この「当事者性の氾濫」が捲き起すのは、実の所、個人化されたシュミット主義であり、現にそうなっている。


note.com/ganrim_/n/n892… 今思い返してみれば、この文章に書いたことは、そのままこの連投に書いたことと繋がっている。


note.com/ganrim_/n/n016… 昔書いた「方法論的女性蔑視」論とは、「女性」という「当事者性」を持ったフェミニスト達によって展開される「個人化されたシュミット主義」の圧迫に対する、「弱者男性」という「当事者性」を持った「個人化されたシュミット主義」的対抗策の提示であったとも言える。


 「方法論的女性蔑視」論は、ポリコレという個人化されたシュミット主義に対するアイロニー的叛逆であった。何故それがアイロニーなのかと言えば、全く同じ手法で相手の逆手を取っているからである。しかしその時は気付かなかったが、ここにもう一つのアイロニーが、言葉の意味自体のアイロニーがある。


 一つにはポリコレとして並べられる言葉の意味が、公共的な意味と個人的経験における意味との区別が限り無く分けられないものだというアイロニーであるが、それ以上に、当の個人的経験、「お気持ち」と呼ばれるものと言葉との関係それ自体の間にあるアイロニーである。


 このアイロニーを、最近はずっと考えている。そしてこのアイロニーは、公共的な場面や用法のみに言葉を返そうとすることによっては寧ろ無自覚に強化されるだけのものである。であるから、公共的な科学の言葉に全てを還元しようとする進化心理学によって解決する問題では全く無い。

岩さん的老後、のこと

 まあ、手に職がありますから給料もらったら挨拶もなしに消えちゃう人も結構いまして入れ替わりがないわけではない。雇用の流動性といっても実態はそんなものです。これは別に親方が情に厚いとか篤志家であったとかそんなわけはなくて、そうするのが暗黙のルールだったということですね。


 まあ、機械化される前の現場はそれこそ「水を汲んでくる」「お茶やアイスを買ってくる」「ゴミをトラックに積む」レベルの仕事で一人前の日当くれたからな。今の平均的な非正規の日給より高いで。


 ドラマ「寺内貫太郎一家」でさあ、伴淳の老齢職人が息子家族と折り合いが悪くて貫太郎(小林亜星)が一生うちにいりゃあいいって励ますエピソードがあった筈だが、それが職人のスタンダードなのよ。独立自営にならない職人は一生もんで親方が面倒見たんだ。


 岩さん、息子が大阪だかで立派にリーマンか何かやってて一緒に暮らそうと言ってくれてるのに行かないんですよね。貫太郎も親の代からいる職人の岩さんは「ずっと面倒みるからここにいろ」と。゚(゚´Д`゚)゚。


 自分も、うろちょろし始めた頃の小さな競馬場の厩舎で、そういうベットウさん(厩務員)の古手の老い方とその処遇のされ方、普通に見てました。


「ポエム」という病い

*1

 なんかもうね、近世の情報環境ベースで醸成されていたリテラシー介した「現実」描写が定型化して役立たずになっていった過程とざっくり同じようなワヤが、昭和後期80年代系ポスモポスコニューアカ的コピーライティング文体(とひとまず言うとく)についても起こってきとるとしか思えん昨今の状況でな。

 〈リアル〉の同時代を宿してゆく「場」なり情報環境なりもまた変遷してゆくわけで、そことの関係でそれまで機能していたリテラシーがみるみる眼前の事実、生身の生きる現実と乖離してゆく過程というのは、おそらくいつの時代にもそれなりにあってきているのだとは思うが、それにしても……(´-ω-`)

 昨今「ポエム」と揶揄されるようなもの言いや文体に対する違和感、距離感もまた、そういう少し前までそれなりに機能していた(らしい)リテラシーを実装した人がたがその手癖習い性のまま考えなしにそれを未だに振り回していることに対する世間一般その他おおぜいからの「批評」が含まれているはずでな。

 で、それっておそらく、いわゆる「文学」のもの言いや文体に対する違和感、距離感などにも関わってきている可能性もまた、併せ技で考えようとしておかにゃならんことだと思うんだが、な。ある種の自意識、「書き手」の側の内面のありようそのものがもはやそのような情け容赦ない「批評」に全面的にさらされるようになっている、という事態を良くも悪くもどのようにフィードバックしようとできるか否か。

 それはまた、前から言及している「歌う」主体の意識のありようの落差、それこそカラオケを「歌う」際の自意識の、若い衆世代とそれ以上のおっさんおばはんたちとの間の、かなり決定的な「違い」や不連続、断絶の類ともおそらくどこかで関連してくる同時代的お題、なんだと感じている。

*1:ここでも元の引用tweetが消えている……ある時期からは引用tweetの部分のテキストだけを別途、複写して掲載しておくようにはしているのだが……220316

B層のその後・メモ

*1

 あの当時はB層と位置づけられた人々はホントに政治に無関心で切羽詰まってもいなかったから、面白半分でポピュリズムに乗っかる余裕もあったんだろうけど、今はもうそんなおふざけに乗れるほど有権者にも余裕がないので、投票率上げても結果は変わらないと思いますよ。


 多分ね、今はもう投票率を上げることで浮動票を取り込んで大逆転みたいな面白イベントが起こるような社会状況じゃないんですよ。小泉政権の時の社会状況と今のこのザマを見比べてみなさいよ。


 あの頃小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」にやんやの大喝采が贈られたのは「与党が壊れてもなんとかなるんじゃね?」という潜在意識があったと思うんですよね。でも今同じことを言う奴が出たら「冗談じゃねえぞ馬鹿野郎、いまそんな余裕あるか」と皆思うはずですから。

 郵政民営化を問題化して、「自民党をぶっ壊す」ことを当の自民党の内側から煽って大きな流れをつくってみせた小泉改革を支えたものとは、というお題。「B層」というのは当時、小泉側の選挙戦略と対大衆社会状況観を見取り図として出してきた図式の中で、最も騙しやすい層として想定されていたもの。その見取り図自体、出所のあやしいものではあったものの、いつの間にか「そういうもの」として認知されるようになっていった印象がある。*2
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 当時、郵政民営化構造改革に同調したそれらB層を中心とした人がたは、しかしその後の過程をくぐった昨今に比べれば、まだ具体的に困窮していなかったのでは? というのがこのtweetの趣旨。なんだかんだ言ってもまだ生活は相対的にラクだったし、その意味で余裕もあった、だからあのような大風呂敷の「改革」煽りに、うっかりにせよ意識的にせよ乗ることもできた、と。その後の経緯をくぐった後の現在だからこその問いかけではあるだろうが、しかし傾聴すべきものはある。
 なんだかんだ言ってもまだ生活は大丈夫(だろう)、だから一発逆転、「改革」というくらいの大ナタ振ってみなけりゃ先はもうないらしい、ってのも、何となくわかるような気がする、いいじゃん、一発やらせてみれば、的な「おはなし」主導の(まあ、「政治」ってのも実際行動としては常にそのようなものではあると思うが) うっかり腰あげてしまう軽挙妄動が「できた」。小泉で1回、そしてその後、ああ、民主党でもう1回……と。

*1:「劇場化政治」と呼ばれたある種のポピュリズムと政治行動の関連について。「豊かさ」前提の現象でしかなかったかも知れない、というまっとうな自省。

*2:世間一般に知られるようになったのは、この本あたりがきっかけだったか。確か共産党が得意げに国会質疑でとりあげていた記憶もあるんだが、そのへんとの関連などはようわからんままではある。

フルスペックの町、の記憶

フルスペックの町が消えていく時、まず玩具屋が消えるんだな。生活必需品じゃないことに加えて、子供向けなので。町が消える、町が再生産されない=子供がいないってことだから。

 わかるー。旅をしてると、若い頃に通ってたお店、デパートの、サブカル的なコーナーが、今行ったら消えてて驚く。ゲームコーナーや玩具店、本屋。跡地には洋服屋さんや100均が入ってたりする。ああ、青春の頃の思い出がまたひとつ消えていく、もう来る意味が無いな、と物悲しい気持ちになるよ。

ハローマックが、百貨店が、玩具を売る電機屋が、駆逐しましたね。
あと、真の限界集落には葬儀屋すらないですよ。
タバコか酒を扱う商店が最後の砦。

 昭和ノスタルジー的な意味あいでの感慨は感慨として、ちょっと気になるのは、ここで言われているような「フルスペックの街」のイメージはさて、どんなものなのだろう。

 おもちゃ屋、デパートのサブカル的コーナー(具体的には示されていないが、言いたいことは何となくわからんでもない)、ゲームコーナー、本屋……あげられている限りでは、いわゆる子どもないしはミドルティーンまで向けの消費文化を商品として供給する端末群、といったところが、その「フルスペック」イメージの中核を示すものなのだろうか。

 小さくても鉄道の駅があり、駅前に商店がちらほら並んで、時にはもう少しまとまった商店街的なものが形成されていて、といった基本的な風景は、それこそ戦前、柳田國男朝日新聞論説委員だった頃のコラム(と当時は言うとらんかったと思うが)で、駅に花を飾るようにすることの意義を説いたあたりからでも、本邦の地方にも見られるようになっていたものだろうし、戦後高度経済成長期の「わたしたちのまち」的な小学生向け「社会」の副読本などにまで揺曳していた、本邦的な「マチ」のある定型イメージになっていたように思う。

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 だが、ここで言われるような「フルスペックの町」のその「フルスペック」に、それら人文地理的な景観みたいなものはおそらく薄い。鳥瞰とまでゆかずとも、俯瞰的な全体像といったもの、それこそ「地域」といったくくりで地図の上に描かれることをまず想定されるようなものではないように思う。

 ならば、何か。そこのマチに住み、日々生きているのは同じでも、それらを単なる装置として「利用」「活用」している受動的立場、「消費者」的な「市民」意識を介したものではないか。子ども目線での「お店やさんごっこ」のような、消費者として日々利用・活用する店舗の横並びとしての「マチ」というか、いずれそのような悪い意味で散文的な、あるいは通りすがりの旅行者や観光客的な、フラットで平面的なもののように感じる。

 ただし、それでもなお、なのだろう、そのような「フルスペック」のありさまがかつての記憶として、消費者としての住民目線から「栄えていた」証左としていま、振り返られるようになっていることは、だからこそ余計に切ないものが宿っている。人文地理的な景観としての、地図の上に俯瞰的に描き出され得るマチ、のイメージはおそらくそうは変わっていないのだとしても、そこに生きて日々消費者市民として受動的に体感しているマチの肌ざわりは、間違いなくもうすでにかつての「栄えていた」頃のそれではなくなっている。そういう意味での〈リアル〉の表現として、この「フルスペックの町」という言い方の背後にある何らかの感傷めいた感覚は、見逃してはならないのだろう。

 ここで個々にあげられている「お店やさん」は、もしもそれが進出してきたのだとしたら、ほとんど全てその後ショッピングモール的なたてつけに収容されていったはずだ。そしてそれでそのマチの日常の暮らしは「便利になった」と感じられるだろうし、それは「うちのマチも良くなった」とまずは素朴に思うようなものになったはずだ。

 けれども、そのモールに日々の生活の行動半径でそのままアクセスできるとは限らない。多くの場合、バスや自家用車を介した「郊外」にそれはあるはずだし、鉄道で行けるとしても自分のマチの小さな駅から時間をそれなりにかけて「大きなマチ」に出かけてゆかねばならないようなものだろう。路面店のささやかな「お店やさん」たちがそれぞれ担っていた消費の役割は、それらショッピングモールに集約、収納されてパッケージとなり、そこに出かけること自体が仮想の新しいマチ、消費にだけ特化された空間という意味で「栄えている」感覚を与えてくれるものになっているだろう。人文地理的な景観の裡にあった消費の役割が、それだけ抜き出されて人文地理的な景観としてのマチの外側に持ってゆかれる。そのことによって、人文地理的な景観としてのマチは、本来そこにはらまれているべきものでもあった消費というモメントを失い、単なる抜け殻のように感じられるようになる。

 その抜け殻感覚、消費者として地元の〈いま・ここ〉に棲息できなくなっていることの表現としての「フルスペックの町が消えていく」。地図の上での、景観としてのマチは大枠変わらないままでも、それがかけがえのない〈いま・ここ〉であるための条件≒「スペック」であったはずの消費のモメントが、すでに「地元」「地域」の〈いま・ここ〉から摘出されて、外部の装置として接続されて初めて可能になっている状態。それは衣食住に直接関わる領域のみならずそれ以外の領域、それこそ娯楽や趣味に関する領域においてより一層、深刻な欠落感や喪失感を体感させるものになっているらしい。