リーマン今昔

https://twitter.com/araki_kazuyan/status/1435005466602393605

 もうオレも普通なら定年間近の歳になった。


 ヲレが子供だった50年前、会社員の定年前のイメージは、デーンと個室に座っていて、部下が持ってきた書類の山に、判子を押すだけで高い給料がもらえるイメージだった。→


 →その後、そんなの重役だけだと知るわけだが、40年前の20代の頃は、「窓際族」という、定年前のオヤジは会社に来てもすることがなく、1日中、窓際のデスクでタバコ吸って、コーヒー飲んで新聞読んでるだけで給料がもらえたイメージがある。→


 →そしてヲレは鍼灸師で病院に就職するので、普通のデスクワークのサラリーマン生活は知らないが、30年前、'90年代のバブル崩壊で、リストラの嵐が吹き上がった。
それまで窓際族などのんきな定年前のオヤジは、研修などと称した一日中穴掘りさせられたり、何もない部屋に一日中閉じ込められたりして自ら辞めるように誘導されたようだ。


 このあたりは伝聞なので本当にそんなことがあったのかは知らないが、漫画島耕作なんかにも載ってると思う。少なくとも、ヲレが子供ころ抱いていた、「何もしないでも給料がもらえる定年前」の夢は崩壊した。→


 そして暗黒の20年に突入するわけだが、社員削減の中、若者は就職できず、かろうじて生き残ったオヤジもIT化に着いていけず。花形だった銀行も合併の嵐。花形だったスチュワーデスもリストラの嵐。なんかもう、先行きがまったく見えなくなった。→


 →ヲレと同世代のオヤジたちは、若者が正社員になかなか就けず、派遣切りなどひどい目にあってるなか、まだ正社員で定年を迎えられるのは幸せな方だろう。
たとえそれが、子供ときに抱いていたイメージと違ってても…( ・∇・)


 一番うまいこと逃げたのは、今の70代で、戦争も経験せず、高度成長期で給料も増え、バブル期に丸儲けし、バブル崩壊を逃げきり、高い退職金をもらった世代。


 きっとひどい目に遇うだろう( ・∇・)

 私が子供だった60年前はクレイジーキャッツ植木等が「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだ〜♬」と歌ってた時代。地を這うように泥に塗れたり日永一日機械油に塗れたりしなくてもいい、スーツを着て会社に通う、というのがみんなの憧れだった時代。そのためには学歴をというので皆大学を目指した。



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 我が家は新聞販売店をやっていたので奨学生制度を使って新聞配達しながら大学に通ってるお兄ちゃんがたくさんいた。カムイ伝やガロを知ったのもその人たちの読んでる本を見せてもらったから。のしあがろう、成り上がろうという熱気のあった時代。まだ国際為替は固定制で1ドル360円から動かなかった。


 さらにその10年後になると中東のオイルショックを受けて不景気が襲ってきていた。世相は暗い歌が流行り公害や東西冷戦が影を落として私たちは21世紀迎えられないんじゃないかと思っていた。大学卒業時は「就職土砂降り」と言われてたなあ。氷河期よりはマシだけど四大での女子の就職先はほぼ皆無。


 さらにその10年後になるとバブル期からの長く苦しい低迷の時代への突入。あとはまあ言うまでもないけれど。思うに日本は戦後あまりに運が良くて深く考える暇も無くなんとなく復興。その場凌ぎでがんばればなんとかなるが染み付いているんだろうな。今こそ深い思索の時だろうにねえ。


 何も考えずに刻苦勉励してれば誰かが面倒見てくれると言うのはもはや時代遅れ。どうせ短い一生の上にこの混乱の世の中、若い人には自分をどう花開かせるかだけ見据えて世界を視野に生きていって欲しいなと思う。あと政府には落ちこぼれなく皆が食える社会を目指してねと。


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「持つ人」だけの街、とは・メモ

 定期的にこの手のニュースが出ますが、私の観測範囲ではまだ数年はこのままです。仮に建て替えれば、一服できる小さなジュース屋もマッサージ屋も靴屋も、存続はかなり厳しいと思います。新橋ヒルズ的な物、まだこの街に、東京に必要でしょうか?

ニュー新橋ビル 50年の節目
tokyo-np.co.jp/article/127084

 今回の世界的厄災があって、この国は他国を出し抜くほどの先進性はもうないと皆が分かったし、同時に、これまでの成長や発展を目指すだけが街の正義でもないのでは?と思った人も多いと思う。今こそ、今あるものを熟成させて、包まれるような街を育て、息苦しくなく暮らせる道を行ってもいいと思う。


 私は、首都中心部の鉄道駅前に個人経営の年寄りの店が存続している事実がすでに、意味があると思っています。戦後史の偶然がもたらしたものではありますが、経済原理と地価に応じた人々だけが集まるより遥かにいい。首都の真ん中が、"持つ人"だけの街になったら、きっと大きな意味での活力は失います。

パキスタン事情断片・メモ

 パキスタン生活のおかげで割と度胸ついてしまったのだけど、犯罪系でこれは本当に危ないなと思ったことが一回だけある。パキスタンに進出したい日本の中小企業があって、そこの社長が日本在住のパキスタン人社員(以下パ社員)と一緒にカラチへ来た時、現地法人作る為の相談に乗ってと会ったのだけど→


 そのパ社員が紹介した弁護士曰く、法人登記は1500cc以上の車が必要、日本人は法人口座は作れない為パキスタン人名義の銀行口座を使う必要がある。など、全部が嘘だらけ。さらに登記住所もマフィア地域でカラチの武器庫と呼ばれる地域だし、カラチに来たのに弁護士が不在で社長はまだ会ってもいない→


 「その弁護士、大丈夫ですか?今のところ全ての情報に誤りがありますけど...?」と言ったら社長は困惑。パ社員も「えぇ?!じゃあ彼は嘘をついたのか...なんて悪いヤツだ」と自分も騙されたフリしてたけど、いやいやお前ら仲間ってか、そいつお前じゃん...さっきから話の辻褄絶妙に狂ってるじゃん...→


 その後もその架空の弁護士の話をしつつ、話の流れはパ社員の、昔はオレもヤンチャだったぜ自慢になり、銃の話題へ。パキスタンでは許可証があれば個人でも武器屋で銃は買えるし所持もできる。ただ申請者の多くは政治家や政府高官/軍/警察幹部や富裕層など狙われやすい立場にある人とその家族と運転手→


 市民レベルで銃を持っている人は護身用名目でもほぼ無許可だし闇で買って祝砲か遊びで動物を撃つか。でも遅かれ早かれ家庭内にしろ外にしろ何らかの別の犯罪に使われる。路上強盗とか。すると「実は...大臣から特別に許可を得て持ってるんですよ...」とパ社員が腰に隠し挟んでいた拳銃を見せてきた→


 社長は「すごい!大臣からの許可?!」と“特別な人脈をもつ”社員に興奮気味だったけど、その許可証は大臣名義では発行されないし、そもそも彼がそれを得たという時期、シンド州政府は許可証の発行を禁止してて、その担当省に友人いるから詳細知ってたけどパ社員の言うこと、とりあえず全部が嘘なのね→


 とりあえず危ないなと思ったので面会を早々に切り上げて彼らを送り出し、社長を先に車に乗せたら、パ社員が「女性1人で起業してカラチで生活するの大変でしょう?いつでも僕や仲間が守ってあげるから安心して」と言いながら、ジャケットの上から腰の拳銃を軽く叩いて、その後私の肩を一回軽く叩いた→


 ありがと!って笑ってやり過ごしたけど、アレ、明確な脅しだったよね。余計なこと喋るとどうなるかわかってんだろな。っていう。仮にパ社員が動いても本人2日後には日本へ戻るし、カラチじゃ腕1本は3000円位で依頼できる。外国人の私じゃなくて私に近いローカルなら問題にならないから狙うなら運転手→


 外出時に一緒に行動する運転手が一番狙われやすい。つまりアリーさん。同時に車か家。一応アリーさんに注意喚起すると、本人は大丈夫大丈夫!って言ってたけど、3日目に店から帰ろうとしたら店の前に停めてたうちの車、タイヤがナイフでぱっくり切られててアリーさんも「...大丈夫じゃなかったね」→


 その社長には全不審点をメールし、パ社員が今回用意した滞在先はガチで危ないし何かあっても領事館に駆け込めない距離なので、次回からは領事館に近いホテルを推奨、あと私はこれ以上関わりたくないし、本気で海外進出したいなら自分で調べるべきだし、彼とは円満に縁を切るべしと伝えて終わった→


 これは親切心のメールじゃなくて、マフィアの巣窟エリアで鴨がネギ背負って呑気に過ごしてて、万が一犯罪に巻き込まれた場合、日頃から行動制限して防犯対策しながらカラチで命張って仕事してる他の日本企業の迷惑になるから危機感持って。という意味だったし実際それはメールにもストレートに書いた→


 まぁ、一個前のツイートでまた治安悪化するのか...と思って思い出したのと、このレベルの人にも日本のビザ出ちゃったのか...と思ったし、もし偽った危険因子がこれからも日本に入るとしたら、騙されやすい日本はどうなるんだろな....ってもやっとしたよって思い出話で、特にオチはないです🙄


 あ、世界中どこでも自分を守れるのは自分だけですし、パキスタン人が危険なんじゃなくて特定の層と関わらなければパキスタン人、ピュアで良い人が圧倒的に多いです。縁もゆかりもない国でしたが、すっかり彼らの持つポテンシャルに魅せられたので、私はまた戻りますしあそこで骨を埋めるつもりです😃

「論壇」は復活しない

 こういうと悪いけど、どういうコマを揃えようと「論壇」は恐らく復活しない。今の人は「論客」の意見をありがたがって聞くというより、自分でネットで(拙い意見でも)発信し、その中で人と(拙くとも)議論する、というほうに楽しみを見出す。実際、論壇誌とか今買ってる層の多くは後期高齢者ですよ


 多分「頭のいい人や偉い人の意見を幕の内弁当的に並べれば、一般の人がありがたがって読む」という“論壇的ビジネスモデル”は今後機能しない。これからの「論客」は、ネットなり何なりの中の「有象無象の議論」にエサを与えピエロ的に立ち回れる人で、現に有名ユーチューバーとか大抵そのように感じる。


 例えば「今スクープやっても収益に結びつかない」とは本当によく言われるんだけど、それは「○○氏が不倫」というニュースがあったとして、今の人は「その情報が欲しい」というより「その情報をネタにあーだこーだ(ネットなどで)言いたい」欲求の方が強いからで、一行情報でよく、雑誌買わないのだ。


 以前、詩人だという人に「今の日本で詩集を買う人はプロ・アマ問わず大抵が自分でも詩作をする人で、純粋な読者は少ない」なる話を聞かされたのだが、時勢論も恐らくそうなりつつあって、「論壇」的なものに触れたい人は自分も何か言いたい人で、黙って拝聴する人は少なくなっていると思う。


 自分は以前、いわゆるネット右翼的思想を持ち、街頭活動などをしてる30代くらいの人と話をしたことあるんだけど、日々ネット上の政治論争はがんばってるけど、正論とかWiLLとか、ほとんど読んだことがないと言っていて、こりゃあメディア商売としてはヤバいと思ったけど、覆す方策も見当たらない。

 「論壇」という言い方自体、「文壇」などを下地にして派生的にできあがって使われるようになってきたものだったはずで、それでもあまり一般的だったとは言えなかったのが、ここ20年くらいでやたら普通に使われる単語になってきたのは前々から気にはなっている。

 おそらく、あの「ゴー宣」あたりで一気に広まったのかも知れないが、それに乗って当て推量するなら、それこそ『朝生』などで「討論」「議論」をある種の見世物、マスメディアの舞台でのショウコンテンツとして提供されるようになってきたことで、そのような場で何かもっともらしくものを言い、議論を戦わせるという態であれこれ演じてみせる言論プロレスラーたちが、これまたある種の芸能人として人気者扱いする場ができてきた、それらの経緯などとも関連してのことだったようにも思う。「言論」とか「言論人」といった言い方も同様に、一般化していったような。

 要は、何か「もの申す」人たち、床屋政談のレベルを何らかの公共性、「公」の装いとたてつけとの中で言ったり書いたり暴れたりしてみせることで世渡りしている(ように見える)界隈、それらがそのような世渡りできている場が「論壇」という言い方であらわされるようになってきた。芸能人なら歌を歌ったり芝居をしたり、あるいはお笑いをやってみせたりと何か「芸」があってそういう場に立っているという理解だったものに、それら「言論」もまた、ある種の「芸」として受けとるような地続きの感覚がそれらを見ている世間、「観客」の側に宿ってきたということでもあるだろう。

 もともと総合雑誌というのがあった。これも時代によって意味あいが微妙に変わってきているのだが、この場の文脈で粗くとりまとめれば、活字でそれら「言論」をやるための場という意味は確かにあった。というか、その「言論」というのもそれ単体で使われる独立した単語というより、もとは「批評言論」というまとまりで使われていたものが、それらの領域が既成事実的に確定されてゆくことで、いつしか切り縮められて「評論」となり、また一方では「言論」にもなった、という経緯来歴もあるらしいのだが、それはともかく。

 

タワマンの光と影――タワマン文学事始

*1

https://twitter.com/nekogal21/status/1429971169151787008?s=20

 「あら、お買い物?」しまった、今一番会いたくない人間に会ってしまった。ダイエーの買い物袋をさりげなく隠そうとしたが、時すでに遅し。タワマン高層階の住民、たかしくんママ(45)はニヤリと笑った。「ダイエーね、安くて品揃えも良いわよね」。手には高級スーパーAOKIの紙袋が見える。


 「お米を買ったの?いいわね、うちは高層階だから気圧が低くて、美味しく炊けないのよ」早速、階層マウンティングが始まった。開業医の妻であるたかしくんママの住居はタワマン最上階のペントハウス(200平米)。共働きフルレバローンで買った低層階の3LDK(65平米)の我が家の何倍するのだろうか。


 メガバンクの一般職として、本社勤務の旦那と社内結婚した我が家の世帯年収は1300万円。システムが不安定とはいえ、世間的に高収入の部類に入るだろう。しかし、豊洲のタワマンに引っ越して幻想だったと気がついた。医者、弁護士、マンションブロガー。高層階に住む人たちと我々社畜は住む世界が違う。


 「たかし君ち、すごいんだよ!めっちゃ広くて、マリオカートホームサーキットができるんだよ!」息子のみつる(11)との昨夜の会話を思い出す。65平米の我が家では、リビングでマリオカートを走らせるなんて不可能。リングフィットアドバンチャーで精一杯。悔しさと情けなさで胸が一杯になる。


 「でもみつる君ママは偉いわよね、働きながら子供の勉強も見て」次は子供マウンティングの時間だ。SAPIXのαクラスの常連であるたかし君は、家庭教師をつけているらしい。我が家はといえば、プリントのコピーで手一杯。「タワマンだと勉強ができなくなるって記事を読んで心配で〜」どの口が言う。
窓際三等兵


 「これからご飯作らないと」と言って別れを告げる。「大変ね、うちはヘルパーさんが作ってから」今のは聞かなかったことにしよう。これ以上は限界だ。湾岸タワマンではなく、川口を選んでおけばこんな惨めな思いをすることもなかったのにーー。常に渋滞する、低層階用エレベーターの床に涙が落ちた。


……という、タワマン・格差社会・学歴あたりの日本人のコンプレックスを刺激する記事を適当に書いてヤフーニュースに載せたら、タワマンのロビーにすら入ったことのないヤフコメキッズ達の議論が白熱してアクセス数稼げると思うんですよね(ゲスい顔で


AOKIのある豊洲ダイエー大型店舗は近くないのでどっちかというと普段使いは文化堂やイオンの方が多いですかね。そしてAOKIのあるららぽーと豊洲駐車場は江東区住人の足立ナンバーBMWが並ぶ中、中央区住人であることを示す品川ナンバーマセラティの圧倒的存在感が……

https://twitter.com/nekogal21/status/1429978318514925576?s=20

*1:この後、しばらくの間、複数垢で展開されていた「タワマン文学」のはじまりあたりのたたずまい。

小林よしのりの功罪

 かつて小林よしのりに魅せられた若い衆が、その後そのままで未だに「信者」のままになっているような率は、巷間言われたり考えられたりしているらしいほどには、実際にはそう高くないと思う。で、それはそれでそういう時期に邂逅すべき読みものとして役割を果しているし、その限りでそれなりに意味あるものだと思っている、これはマジメに。それこそかつての本多勝一なんかとある意味同じような意味で。

 ただ、そういう読みものの類が昨今、ひろゆきホリエモンやDaiGOになっているのだとしたら、それはそのかつての小林よしのりやホンカツなどとは少し意味が違ってくるようなところは、確実にある気がする。

 うまく言えないのだが、それらの前提となっている〈知〉なり「教養」なり、そういう「いずれ身につけるのが望ましい、生きてゆくための知恵や知識≒ある種の良識」みたいなものが、そもそもすでに世代差を越えた地続きではなくなってる情報環境にもはやなってしまっているわけで、そのへんの違いは「若い頃くぐっておいた方がいいもの」という位置づけを、いまどきのそういう読みもの類からは喪失させてしまっているように思う。

 これは割と未だにひとつ話として言っていることなんだが、かつて地方競馬がらみでライブドアの幹部と農水省若手官僚との間を繋いだ時、見ているものはどちらもおそらく同じもののはずなのに、それを言葉にする文法その他たてつけの「違い」を決定的に思い知らされた「翻訳不能感」みたいなものにも、このへんは近いように思う。

 ある種の当時蠢き始めていたそれまでと違う〈いま・ここ〉の〈リアル〉。その頃のライブドアらが「経済」という言い方でしか表現し得なかった何ものかを、彼らとほぼ同世代な農水省競馬監督課の若い官僚も「見えていた」のは間違いない。間違いないのだが、しかし、その互いの見ているはずの同じものを言葉にして共有する前提もまた絶望的になかった、と。

 本来なら「ジャーナリズム」なり「評論」なりがその間を「翻訳」して示してゆくのが役回りだったはずなんだが、残念ながら自分も含めて、それを当時世間にうまく説明してわかりやすく提示することができなかった。金融経済的な「それまでと違うもうひとつの〈リアル〉」が隆起&前景化していった時期。

この すれ違い?通じなさ?言葉にして共有する前提がない。この際に具体的なやりとり 様子 もっと知りたいです。

あの当時のマスメディアの影響を知らないというのも時代何だろうけど、麻生コピペを出すまでもないし、民主党を夢想と因縁だけで与党にした時以上の力が有って、本当の真価が理解出きると思う。
コヴァと呼ばれてもあれ以上マトモなモノが一般に出回らなかったし、マスメディアも封殺していた程。

(^_^)ノ自分の事でしょうか?(笑)

思い出して顔真っ赤になるのでその話はここまでにしていただきたい。
悶絶して叫びながら転がりそうになる🙄

「若い時に共産主義に憧れるのはいいことだけどいい年してもまだやってたらタダのバカ」みたいな感じかな。小林よしのり本多勝一は確かにハシカみたいなもんだなあ。
いい年して免疫持ってないで感染すると大病になるのも似てるのだ。
精神に免疫を得る為の大切な牛痘的存在w

中間層の破壊・メモ

 永遠に緩和を続けて何の資産も持たない、給料日から給料日までかろうじて生きている人々を大量に作っています。貧富の格差を広げてミドルクラスを完全に破壊。こんなシステムはどこかで崩壊しますよ。政治的に大きく動く。


 よく考えて欲しい。むかしはCD買って、ビデオを買って、本を紙で買っていたけど今はすべてサブスクです。会員資格が消えれば何も残らない。資産をまったく持たない奴隷クラスをつくろうとしているとしか思えない。


 資産価格をずっと膨らますとそのうち庶民は家も買えなくなる。実質米国で起きている。投資ファンドがゼロ金利で調達した資金で住宅を買いあさって一般人に貸している。

 2 .3年前に新築買った新婚家庭は完全に破綻しますね。

 「給料日から給料日までかろうじて...」


(-""-;)ホントそれです。


 そしてカードで未来のお金を浪費してるから、未来が今になったときお金がなくて更にカード。


 呆れる。

 欧州はそこでコロナでロックダウンして身動き取れなくさせて、違反者に対して高額な罰金か、年寄りだろうが子供だろうが警察の手荒い扱いで、まるで封建制度の再来のようです。本当に嫌な世界になってしまいました

 「中間層」「ミドルクラス」といった言い方で指示されてきた何ものか。かの「一億総中流」の「中流」がその汎用一般的語彙として下位互換されていたのかもしれないが、すでにそのイメージ自体、歴史の彼方。

 けれども、本邦の当時の語彙として言うならば、その「中流」とは、何も社会科学的な分析の視点があって、その上でこれこれこのへんの「階層」のこと、といった見通しがあってのもの言いでは、絶対になかったと言っていい。ある漠然としたイメージとして、形象としての「社会」というのが何となくあったとして、その中でのおおむねこのへん、という程度。

 そう、その前からの世間の語彙で言うなら「人並み」という言い方、その「人並み」が「中流」という漢字二文字の熟語を見た瞬間に憑依してしまった、そういう理解の仕方をみんな横並びにしてしまった、そういう感じだったのだと改めて思う。その「人並み」のイメージがそもそも崩れてしまった。いや、崩れたというよりも、ある一定の幅で何となく想定されていたはずのそういう「人並み」の輪郭が、ぼやけてわからなくなったという感じなのだろう。

 加藤秀俊の名著のひとつ(だと思う、いまさらながらに)、『中間文化』に、戦後の本邦の「中間層」の形成過程が読み解きのように示されている。彼は、それが本格的に前面に可視化されてきた背景に、「マス・コミュニケイション」をあげている。「マス・コミュニケイションという通信手段が、文化の中間的統一という方向を宿命的にになうものである」という言い方で、メディアと情報環境のたてつけの変貌によって、社会的な実体としての「階層」を乗り越えた、新たな共通性が形成され始めている、それが「中間層」という実体よりも、それらに共通しているように見え始めたある生活文化のありかたとしての「中間文化」の方に合焦してとらえることが、いま起こっていることの本質により近い――ほどいてみるならば概ねこういう理解をそこで加藤は示しているのだが、まさにその「文化」としての「中間文化」――つまり「大衆文化」と言い換えてもとりあえず構わないような内実を持ったものが、新たな「人並み」の実相として「階層」を越えてイメージされるようになっていったことを期せずして示してくれているように思う。「人並み」の更新、今様の言い方をするならアップデートが国民的規模でされてゆくことで、哀しいかなわれわれはその「人並み」のイメージにあてはまるように、膨れあがり始めた「豊かさ」任せに実際の日常生活を装ってゆくようになったらしい。