「持つ人」だけの街、とは・メモ

 定期的にこの手のニュースが出ますが、私の観測範囲ではまだ数年はこのままです。仮に建て替えれば、一服できる小さなジュース屋もマッサージ屋も靴屋も、存続はかなり厳しいと思います。新橋ヒルズ的な物、まだこの街に、東京に必要でしょうか?

ニュー新橋ビル 50年の節目
tokyo-np.co.jp/article/127084

 今回の世界的厄災があって、この国は他国を出し抜くほどの先進性はもうないと皆が分かったし、同時に、これまでの成長や発展を目指すだけが街の正義でもないのでは?と思った人も多いと思う。今こそ、今あるものを熟成させて、包まれるような街を育て、息苦しくなく暮らせる道を行ってもいいと思う。


 私は、首都中心部の鉄道駅前に個人経営の年寄りの店が存続している事実がすでに、意味があると思っています。戦後史の偶然がもたらしたものではありますが、経済原理と地価に応じた人々だけが集まるより遥かにいい。首都の真ん中が、"持つ人"だけの街になったら、きっと大きな意味での活力は失います。