某誌編集部と・メモ

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 ただ、おっしゃるような、「閉ざした側の理屈、正義を自明とする限り、それを打ち破ろうとする少数派は危険な「カルト」に、あるいは軽侮すべき「電波系」に見える」という部分、あたし的にはちと違和感があります。

 たとえば、申し訳ないですが、大塚の言う、旧来の保守論壇のある部分は「デンパ系」というのはあたしも同感できます。西尾のオッサンや、かのタモガミ将軍などその典型。と同時に、ホンカツだの何だの、サヨク論壇のある部分も、全く等価同等に「デンパ系」であるという認識についても一歩も譲れません。つまり、どっちもどっちだろう、と。

 しょせん「論壇」などというシロモノが、「戦後」で「昭和」な情報環境において、そのような「デンパ系」とのグラデーションもひっくるめて存在し得た、良くも悪くもそういう歴史的存在になりつつある、というだけのことでしょう。もちろん、江藤淳福田恒存もそのような「戦後」「昭和」の内懐に在ったということも同じく、です。

 おっしゃる文脈で言うならば、斎藤や大塚は、ならばなぜ、そういう「閉ざしている側の正義」に、いま、この時点においてなお、そんなに得意げに立っていられるのか、どうしてそこまで無自覚で鈍感なまま、バカさらしてフリチンなのか、それこそがまず、問われるべき重要なポイントでしょう。

 ことばと実存の肉離れ、が常態になってしまって以降の世代の「論壇」ごっこのスカ、がまさに典型的に現れている、と。そしてそれは、新聞や雑誌の編集現場に担当その他として存在してきた記者や編集者の世代性ともきれいにシンクロしている、と。

 だからこそ、冷戦構造が崩壊して後も、いや、崩壊して後こそさらに濃厚に「サヨク」言説は延命してきたわけです。単なる言説のうわっつらとしてだけ。

 文春なんてのは、現場の体質としては本質的にただの「天邪鬼」の会社です。もっと言えば、大都市私立中高一貫校カルチュアを前提とした「天邪鬼」です。ちょっと遊び人の、でもエリート。かつての麻布あたりによくいたような、ですね。「思想」なんてほんとは関係ない。少なくともおのれの日常、恵まれた暮らしが維持できている限りにおいては。せいぜい、仲間づきあいのアイテムとしての「思想」くらいしかない。で、世の大勢にはちょっとハスに構えて見せる、けれども、でも、「反体制」なんて真正面から打ち出すほどヤボでもない。

 かつての田中健五や、新潮の斎藤十一あたりまでの世代なら、そういう周縁エリートのノリは、立派にマスコミ、ジャーナリズムのあるクオリティを維持する重要な要素になっていたでしょう。それは、ナベツネが戦前のエリートカルチュアのいまや最後の牙城であるのと同じ脈絡で、かつての「戦後」「昭和」の「マスコミ、ジャーナリズム」の雰囲気、体臭を良くも悪くも決定してきた遺伝子だったはずです。

 でも、おそらく80年代後半あたりを境に、世代は大きく転回していった。「オウムの幹部ヅラ」したような偏差値エリートたちが現場に浸透し始め、それは書き手も編集者も共に同じ病いを共有した構造に加担することになりました。斎藤や大塚が、当時から朝日以下「大手マスコミ」の「ブンカ」に尻尾を振り、体重の乗らない世渡りとしての「思想」言説をバラまくことに汲々としてきたのはまさにそういうおのれの病い、世代性の限界に無自覚なままだった、その程度の愚鈍な俗物だった、というだけのことです。

 「名無しの品格」の前身、「麹町電網測候所」の後始末をめぐってのゴタゴタも、そういう「構造」に巻き込まれたままの『諸君!』編集部のありようをめぐって出来したものでした。櫻田が「しなやかなリベラリズム」とか言ってるのは不勉強にして知りませんでしたが、それもまあ、世代性とその不自由を考えれば、ああ、そうか、という感じです。

 「リベラル」に無条件にあこがれというか、全面否定できないナニモノか、が刷り込まれてるんですよ、すでに。(そう言えば、かく言うあたしも西尾のオッサンに、「キミはリベラルだから」という理由で、「つくる会」から追い出されるレッテル貼りをされましたっけか……)

 『WILL』や『撃論』程度で需要は満たせる、その程度の「思想」商品しか、もう市場は必要としなくなっています。それはおそらく現実です。しかし、その現実に『諸君!』は、文春は耐えられなかった。経済的商売的に、でなく、天邪鬼エリートのプライドにかけて、辛抱しきれなかった。しょせん「思想」なんざその程度のものだったんだ、彼らにとっては、ですね。まだ踏ん張ってる『世界』の岩波の方が、よっぽどオトコマエかも、です(;^ω^)

 『文學界』をしくじって文春お出入り禁止になった大塚が、その後どれだけみっともない水面下の工作をあれこれやって媚態を振りまいていたか、同じく、『諸君!』で揶揄された斎藤がどれだけストーカーじみた狂態をさらしたか、知らないわけではないですが、それはまあ、措いておきましょう。

 必要なのは、最低限、「論壇」なんてものが歴史的限定の中にあったんだ、ということをどれだけ明るく認めることができるか、でしょう。未だに同じような名前しか並ばない、並べられないままの「論壇」沙汰など、もうとっくに〈いま・ここ〉の現実から、(゜⊿゜)イラネ と言われてるわけです。「デンパ」として賞味できるからこそ、タモガミ将軍はもてはやされているわけで、あるいは、「デンパ」と相対化してその中のいくらかの真実を引き出してみる、という知的矜持すら持てなくなっている今の市場に、熱狂されていたりするわけで。

 かくて、このように「論壇」は溶解してゆくわけであります。『諸君!』、ってやっぱりボンボン保守だったんだね、ということですかね。

……で、お申し越しの件、いろいろタイトではありますが、このような認識で構わなければ、何とかやりこなしてみたいな、と思います。

 情報環境の変貌と、それに従い否応なしに終わりを迎えつつある「戦後」「昭和」の時代相(渡辺京二さんならば「文明」とまで呼ぶでしょう。ついでに、渡辺さんや石堂淑朗さん、あるいは片岡義男さんなどへの同時代インタビューなどもいまの『正論』しかできない企画かと)の真っ只中で、どう「後退戦」を戦うか。「殿軍」の困難を引き受けねばならないのは、あたし個人とて腹くくってるつもりですが、そのようなまたひとつ別の位相に移行しつつある「大衆社会」において「思想」「言論」がどのようなものになりつつあるのか、を直感的にせよ見据えた上で力戦しないことには、それこそ「犬死」になりかねません。

 あらっぽく言えば、『will』『撃論』程度で全く構わなくなっている「市場」に対して、どうその「殉死」の志を思い知ってもらえるようにしてゆけるか、かと。先の「デンパ」のもの言い(もともと「と学会」の造語でしたが)の有効射程距離も、その戦略あって初めて、もっとはっきりしてくると思っています。

 その意味で改めて、タモガミ問題ってのは絶好のケーススタディ、であり続けています。このへん、桑原さんなどとも意見交換させてもらってますが。

 力戦敢闘してあっぱれ「殉死」、の浪漫主義すら、百も承知、二百も合点、の上で、なお、笑いながら相対化してしぶとく生き残ることのみで踊ってみせる、そんな厚かましさこそが、いまみたいな状況で必要でしょう。「殉死」イメージにうっかりと吸引されることのヤバさ、不自由さくらい、すでに「戦後」までの過程の「戦訓」として学んでいるはずです、われわれは。ここにおいてもなお、「通俗」の認識とそことの距離感、は未だ切実な課題のようです。

*1:某誌(いわゆる保守系)の編集部との執筆依頼にからんでのやりとりの断片、だったと思う。