「終身雇用」というたてつけ・雑感

 「終身雇用」という制度の崩壊は、しかしその制度がどれくらい普遍的だったのか、というあたりの問いも併せ技に考えるようにしておかないと、いろいろと間違うところが多くなる。

 今、「終身雇用」と行った場合、いわゆる会社勤めの「会社員」「勤め人」的な意味での「終身雇用」をイメージするのがほとんどだろう。それこそ高度成長期このかたの「サラリーマン」的な「ちょっくらちょいとパーにはなりゃしねぇ」という、よほどのことがないとクビにはならない、給料(かつては「月給」という言い方が普通だった)を貰えなくなるような事態は訪れない、という意味での「安心感」と共に。

 「定年」(うちの半径身の回りでは「ねんまん」などと言っていた、「定年満期」からの「年満」だったのだろうか)になるまでの身分保障、そして「退職金」をもらった後は、関係の子会社、系列会社や取引先などに移って、しばらく楽勤めをして、という「人生設計」。こういうものの雛型は戦前ならば「役所勤め」であり、あるいは「職業軍人」であったはずだ。「恩給」がつく、という言い方でその最大の特典も語られていたが、それは戦後に「年金」となって国民一般にまで拡張される制度となっていった。それら「年金」に代表されるような、戦前の「お役人」「軍人」の人生設計を雛型にしたような身分保障を、できれば国民一般にまで拡げることを、戦後の官僚や政治家などの政策設計の当事者たちが「よりよい明日」のために選択していった、その経緯来歴は背景その他ともども、とても興味深いところなのだが、こういう視点からの政治史なり政策史といった仕事はさて、すでにあるのだろうか。そして、いまどきからこの先も含めて、本邦人文社会系の視野にあるべき問いとして合焦してもらえるものなのだろうか。

 「終身雇用」という言い方自体、いつ頃から使われるようになったのか。それもまた必要な問いなのだが、ただ、それとは別に、身分をできる限り保障するというたてつけという意味ならば、近代以前のある種の商家や、それ以外でも一定の条件で存在していたはずなのだが。もちろんそれは「部屋住まい」といった、いまのものさしからすれば不自由で窮屈なものだったかもしれないが、それでも「生きてそこにいる生身の存在」に対して、おいそれと野に放り出してしまうことはしないし、してはいけない、という、たとえ漠然としたものであっても「民俗」レベルも含めた「そういうもの」として共有されていたからこそ、あり得ていた社会的なたてつけだったはずだ。