アメリカ日系移民事情・メモ

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 911のテロ以降、アメリカのビザを取るのがとっても難しくなりました。でも、それ以前はビザなしで渡米して、不法滞在しながら働いてグリーンカードが取れちゃうような大らかな時代がありました。歴史的に日系移民と呼ばれる戦前の先輩の遥か後の70年代、80年代に多くの若者がアメリカンドリームを夢見て渡米してきました。これの人たちを新移民と呼んだりします。


 私が2004年の渡米直後に働いていたお寿司屋さんのシェフの何人かは、そんな感じに漠然とした夢を持って渡ってきた元若者でした。中には自身でビジネスを起こして成功した人もいますが、当然そうでは「ない」人が大多数な訳です。


 若い時は良いんです。アメリカに住んでいる自分に酔えるから。でも、残念ながら高給取りにはなれません。だって、高給取りになるためにアメリカ人も外国人も熾烈な競争をしてるのに彼らは最初から参加してもいないのですから。


 で、ある程度の年齢になっても職歴や実績が無くて日本にも帰れないというような人も結構沢山いるのです。当然、自分の意志でアメリカに残って、楽しく生きている人もいます。でも、皆が皆そうな訳無いですもん。だって、僕も辛かったし、日本に帰りたいと思った事も何度もあったけけど現実的に帰れなかったんだもん(笑)


 永住を決めた彼らは日系一世となり、彼らの子供は日系二世となる訳です。ちなみに何十年も住んでいる一世でも英語が全然ダメな人も多いですし、労働集約型の産業に従事するケースも多くなります。で、日本から留学で来る人とか、駐在で来る人は、そういう産業の現地スタッフとの接点は無いと思います。


 Twitterでも散々話題に上りますが、アメリカの教育費は高い。。。想像して欲しいのですが、所得の高くない日系二世達はどういう教育を受ける事になるでしょうか?現実として所得と教育の質って比例します。また両親が日本の教育システムから逃げるようにアメリカに来てしまったケースだと、教育に熱心では無いことも多いです。その場合、子供の日本語能力も日常会話のみっていうケースが多い。敬語が使え、漢字の読み書きが出来、読書が出来る子なんて稀です。


 日本語能力ってその子の日本人としてのアイデンティティに直結します。日本語の文章が読めるだけで本当に人生が変わる。十分な教育を受けなかった子達はどうやってアメリカ社会の中で生きていくと思いますか?戦前からの日系人コミュニティは連携していて大家族のように強かったから、能力が無くても何とか生きていけた。でも新移民はそのコミュニティとは断絶した核家族みたいなもので全て両親の力にかかっている。じゃあ両親も力が弱くて、子供の学力、能力、自己肯定力等が弱くて、アイデンティティも不安定となれば生きにくいし、ルサンチマンにとらわれるわ、と。。。


 じゃあアメリカを出て、両親の母国の日本に行って活路を見出せるかと言うと、見た目は日本人で日本語を話すけど、読み書きは出来なくて、精神はアメリカ人って大変ですよ。見た目のせいで絶対に日本人ととしての常識と教養を求められるもの。働きにくいし、暮らしにくいよ。


 だから、やっぱり彼らはアメリカで生きていく事になるんだけど、アメリカ社会という露骨なまでに学歴と能力主義の世の中で生きるには、教育が無いという事が効いてくる。八方塞がりだ。


 自分の意志でアメリカに来た一世の両親は何があっても自己責任だし、失敗も織り込み済みで来ているはずだから良いの。でも、その子供達については、ちゃんと戦略を持って子育てしてあげないと可哀そうだな、と思うんですよ。ほぼ確実にアイデンティティクライシス起こしてるし、日米のどちらにも精神的に帰属出来ない状態になる。下手すると一生。


 そんな子達と接するたびに「めげずに、腐らずにアメリカの社会を堂々と生き抜いて欲しい」と思う。現状は自分自身を映す鏡であって、状況を変えたければ自分が変わるしか無い、と伝え、変わるために「勉強」し「勇気」を持って「行動」し、成功でも失敗でもその「実績」を手に切り開いていけ、と。


 そうやって這い上がるしか無いんだよ、と一生懸命伝えてみるんですが、ルサンチマンを抱えているくせにプライドが高くて、泥臭く頑張る事は嫌いな子が多かった。自分が不遇なのは全部周りのせいで、自分は悪くないという思考になってる子が多かった(僕の周りでは)。推測だけど、彼らの成長過程において周りにそういう思考の大人が多かったのでは無いかなぁ、と。


 当然だけど何かをつかみ取る力のある人よりも、そうでは無い人の方が圧倒的に数は多い。そして、彼らの子供達も「生きる力」が弱くなり負の連鎖となっていく、と言えなくないと思う。


 「最貧困女子」(鈴木大介著)に最貧困に陥る女性の特徴として、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁を無くしている、というものがある。移民先の国では他所者だから当然これらの三つの縁との繋がりが弱い。結果、最貧困とは言わないけど弱者になりがちと言えると思う。


 だから、移民した両親が戦略的にこれらの縁を子供に繋いであげ無いと大変な事になるんです。僕は今は幸い「会社」という器を持っているので、地域の代わりに人を受け入れてあげられる。でも永久に面倒を見れる訳じゃない。社員には早く生きる力をつけて巣立って欲しいという思いを持っている。縁があって僕のところに来たんだから彼らの人生に何かは残してあげたい、と。まぁ、それは日系人だけじゃなくて、ロシアでもイスラエルでもどこの国から来た移民のメンバーに対しても同じ様に思うんだけど、長く働いて欲しいとも思いつつ、移民の先輩としては色々複雑なんですよ(笑)


 移民でも一世は「生命力」が強いから心配してない。二世は心配。もう三世までいくと親戚もいるし、地域の繋がりもあるから大丈夫。二世が心配なんです


 表現を直したくて再ツイートみたいになりました。で、優秀でもなく、勉強も読書もする習慣もなく、生命力が強い訳でもない人も、アメリカでも海外のどこに住もうが挑戦するのは自由なんです。でも、縁を繋いであげないと子供や子孫が苦労しますよ、と言いたいです、という、まとめになります。

 

*1:同じく大事な細部を含んだ備忘として。ある意味、日本国内で生まれた日本人子弟であっても、環境によってはここで言及されている在米2世、3世と同じ「生きづらさ」(イヤなもの言いだけれども)が構造的に、言い換えれば本人たちのせいではないところであらかじめ覆い被さってきているところがあるわけで。アメリカほどの露骨な自己責任、弱肉強食なネオリベ的競争社会にはまだ成りきっていない分、だからこその本邦ならではのキツさもあるのだけれども、いずれにせよ「生きてゆく」ことの本質的な部分に関わる問題として。そして、ご当地のような「地方」の、それも弊社あたりの大学(という名の、要は community collage )に求められている今日的役割というのも、基本的にこのあたりに関わってくるのだろうことはすでにいやというほど身にしみている。