創作と「工業化」・メモ

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 それは物語の分析の領域では、構造を分解して考察、という方向に行き、少年ジャンプが「10回で切る」とか「アンケート至上主義」みたいな話にもなったし、それこそ角川文庫と映画の相乗効果とか、いろいろあったのだが私見では80年代の「軽薄短小」と言われた時代性ともからんでいたはず。


 いきなり私見になるが、80年代、中高生だった私はそういうことに納得しつつもどこか引っ掛かっていた。だいたい思春期にそんなこと丸飲みしていたらやべーやつである。工業製品化できるということは、物語が固有性を失い、交換可能になる、すなわち、何を読んだってそんなに変わらないことになるからだ。


 たとえば秋元康の一連の仕事を嫌悪する人たちは、やはり「手クセで楽曲を量産しやがって」と思っている人も多いのじゃないだろうか。歌の工業化。「おニャン子」もアイドルの大量生産化をいじったグループだった。


 見城氏の発言をめぐる今回のネット上のトラブルは、いろいろな立場から観ている人がいるだろうけど、私個人の印象としては「最後だけ読んだ小説を売る」という不誠実さや「部数を暴露する、すなわち部数がすべてだと思っている」ことが、露悪的にそういうことやってんですよ、的なポーズを通り越して、「ただのイヤなやつじゃん。大学でマーケティングとか習ってきてそれがすべてだと思い(見城氏の方法論とは異なるとは思うが)「こうすれば売れる!」みたいに大口叩いてたイヤな野郎たちと同じグループの人たちなんだな、物語へのリスペクトがないんだな、心底不快だからやめてほしい、ってことでした。


 実は津原氏の批判の内容は知らないのだが、はっきり言って彼の発言で「日本国紀」の部数が落ちるとも思えないし、「金持ちケンカせず」で無視すればよかったのに、つっかかっていったのは、見城氏としては「そういうおれってカッコいい」と思ってたかもしれないが外野からは「ただのイヤなやつ」です。


 見城氏のような山師は世の中には必要だと思うが、どっかかわいげがないと叩かれてもしょうがない。それに、本当に優れた山師はそういう面を自己演出するものだ。何か騒ぎが大きくなっていくにつれて、もうコトの正否とかを通り越して「不快」という感情だけが残るのは、NGTの山口さんの件と似ている。

 創作が「商品」になり「ビジネス」になってゆくこと、を、その創作の現場に関わる人がたがどのように認識していったのか、ということについての「歴史」は未だあまりすっきりしたカタチでは合焦されていないらしい。殊に、その「ビジネス」や「商売」の規模や速度がある閾値をうっかり越えてしまうようになったらしい時期からこっちはなおのこと。

 いわゆる創作だけでもなく、要は「ものをつくる」ということまで一般化しても構わないと思うのだが、突き詰めれば生身を介した手作業、ニンゲンのしわざであることから逃れられないはずのそれらの過程が、かなりの程度まで機械に置き換えられるようになっていったこと、それも生身の延長線上の「道具」ではなく、それ自体自律的な動きをするようになる「機械」の領域に足踏み入れるようになったことで、手作業としての本質が当のこちとらニンゲンの側から見えにくくなっていったのは良し悪しともかく否定できない文明史的な事実ではあっただろう、いまさらながらに。ましてや、昨今のようにそれがAIのような「意志」と見做せなくもないような働きまで実装する/できるようになってきたらもう、そもそもニンゲンとは何ぞや、というとんでもないお題にまでことは及んでくるわけで、これもまたいまさらながらに。

 それらニンゲンが日々生きてゆくこと、衣食住に関わるような「ものをつくる」でなく、それらとは直接関わらない、あってもなくてもいいような、それ自体何かはっきりした目的や意図などはあまり想定されない、いわば手すさび、「用」から遠い営みの結果としての創作物にまでそのような「ビジネス」の論理が適用されるようになってゆく過程もまた、もうずいぶん前からそれなりに露わになってはきていたわけで、それこそ「市場」が日常生活に浸透してゆくより大きな過程の一環としてとらえるのはひとまず妥当なようなもの、ではあったんだろう。

 ただ、それでも「市場」は、それらやくたいもない、「用」から距離のある、だからこそあってもなくても構わないようなものだったそれら創作にとっては、何かの間違いでからんでくる程度のものだったはずだ。「商品」になり「ビジネス」に巻き込まれる局面は確かにあったにせよ、それ「だけ」を目的に創作に携わることは実態としても、またそこに関わる人がたの意識認識にとっても、正面から向かい合うべきものでもなかったはずだ、少なくともいわゆる「近代」的な創作観が自明になってしまってこのかたについては。

 「市場」を正面から相手にして、そこに向かって「商品」としての創作をしてゆくのは、たとえばそれこそ柳宗悦あたりがかつて「発見」してみせることになった益子焼の「美」につながるような、「市場」との関係において匿名性と大量性とに規定された、その限りでいわゆる「近代」的な創作観にとっては〈それ以外〉でしかなかったわけで、自分の営みを創作だと思っていた界隈がそれら〈それ以外〉の立ち位置や属性をそのまま自分ごととして引き受けようとすることは基本的に考えられていなかったはずなのだ、ある時期までは。

 臆面なく、というもの言いがおそらく適当なのだろう、創作の側が「臆面なく」それら〈それ以外〉の「市場」とのつきあい方を自分ごとにしてゆこうとし始めるようになったのは。菊池寛? いや、まだ彼の頃は当時の情報環境ともあいまって、まだどこかその「臆面なく」にも照れや韜晦、あるいは時に懸命にその「臆面なく」の理由について説明しようとする可愛げなどがあったと思う。そのような意味での「商品」としての創作の王者であってきたはずの映画や歌謡曲にしたところで、「ビジネス」の論理に対する全面肯定というのは、そうそう「臆面なく」やらかすものでもなかったし、たとえそれがホンネの〈リアル〉であったとしても、それこそまさに「密教」的に内輪で共有されているものでしかなかった。その程度の矜持や「臆面」は、世間一般に対するタテマエとしてあったはずなのだ。

 それが全面的に野放しになった。しょせん「商品」としての創作物を「生産」している「ビジネス」なのだから、というリクツが、ある時期を境にしてどうやら「正義」になった。この「しょせん」というあたりのキモチ良さが、それまでの「密教」的に維持されてきていたホンネの〈リアル〉の縛りに対する反抗気分も含めてのことだったことも、忘れずに書き留めておこう。そういうある種やんちゃな、客気横溢する「若気の至り」任せにうっかり野放しにしてしまった、でも〈それから先〉についてはロクに目算も何もないままだった、ということも同じくしっかりと忘れずに。

 あの「物語消費論」的な「わかってやっている」感、それをそのまんま自ら甘やかし野放しのまんま〈それから先〉を本気で自分ごとにしてこなかった結果が、たとえばあの秋元康見城徹のような「ビジネス」が「臆面なく」横行して「正義」として、そして何より「成功」事例としてまかり通る時代だったということ。それをどう考えるのか、も含めての大きな、そうそう簡単に出口の見つからない問い。
 

*1:この後、なぜかブロックされた(´・ω・`)