オトコの性癖に対する理解

 これまで、オトコ相手の「水商売」は成り立っても、オンナ相手の「水商売」は成り立たない、とされてきたし、実際ほぼそうだったのが、近年様相が少し変わってきとるのも、セクシュアリティのありよう(今様の「性癖」でもいい)が多様なことが可視化されてきたからという面はあるはずで、な。

 オトコ相手の「水商売」が、オトコのセクシュアリティ≒「性癖」とは「そういうもの」という大雑把なくくりの理解で「処理」できるようなものだったからこそ、パターン認識と対応の組み合わせでビジネスベースに乗せられたのに対して、オンナはそうもゆかなかった分、商売にならなかったんだが……

 オンナの「性癖」のありようもオトコと同じような意味であり得ているのがオンナ自身にも、またオトコにも見えてきて、それはうっかりそうなってしまったという面も含めて、社会の変化に伴う必然でもあったわけだが、ただそれにうまく対応しきれていないのも現状あるわけで……

 そういう意味で過渡期ではあるんだろうが、ただ、なのにオンナの側からのオトコの「性癖」のありように対する理解が、未だに少し前までの大雑把な「そういうもの」的くくり方に固定されとるところがあって、特に「知的」な水準ありきで現実をカタにはめて見ようとする人がたの場合、顕著らしくて、な。

 でかいおっぱいが好きで、ミニスカートやバニーやビキニやティーバックが好きで、隙あらば「やりたい」とがっつくもので、常に「下心」全開モードで、なんだかんだ言っても「そういうもの」なんだ、という大雑把な理解を未だ臆面なく、「知的」な水準でさえも平然と適用するあたりのトホホ感。