「そんなことしてもおまえのパイは増えない」話法

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 ああ、「おまえのパイは増えない」話法を繰り出しちまったか……批判や異論を封じようとする手口としてはこれ、かなりあかんやつなんやけどなぁ。

 要は「そんなに必死になってもおまえのトクにゃなんね~よ、バカじゃね?」なんだが、損得のためだけでやっとるという前提自明にしとる時点で「ああ、そういうやつなのね」と判断されるわけで、な。つまり「トクにならないこと」というのが最も批判・批評として「効く」という前提を自明に共有しているという思い込みありき、な話法ということでもあり。

 だから、こういう「トクにならないことやってんじゃねぇよ」話法というのは、それを言う自分(たち)は損得的には優位に、ぶっちゃけウエメセ前提ってことでもあるわけで、「おまえら貧乏人or負け組or風下」的序列意識がうっかりにじみ出しちまう、それによって批判・批評するその立ち位置自体がバレて足もと見られる、というネックがつきまとうわけで、な。

 最もあかんのはこういう話法、その「損得」というものさしを相手もまた当然共有しているよね、という当て込みについての無自覚っぷりが致命傷になるということについて、ほとんど考慮していないか、多寡をくくって「なめている」ということ。簡単な話で、その自明に共有されているはずという「損得」を度外視した相手だったらどうするのか、というあたりのことは初手から考慮の外、「トクにならないこと」など覚悟の上、あるいはそんなもん(゚⊿゚)シラネでやっているのだとしたら、これほど始末の悪い相手はないはずなのだが、そしていわゆる「無敵の人」というのはそういう境遇からうっかり姿を現わすものだったりするみたいなんだが。

 ……つまり、こういうニンゲンもまた平然と眼前にいるかもしれん、というあたりの想像力、というか、な(´-ω-`)つ

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*1:TLに流れてくるよくある言い争い、やりあいの類を眺めながら、のちょっとした感慨。備忘録的に。

*2:そういう意味ではやっぱ、この話法使いもまた、ある決められた枠の中、それこそ「学校」なり何なりの安全なルールの範囲内でしかことばを発したり、またそのことばによって引き起こされる状況や事態についての直面の仕方や始末のつけ方を考えたり、そういうことは想定外のまんま、だということなのだと思っている。「学校」的約束ごとが身体化日常化してしまった主体とことばの危うさ、などに関わる一連の問いとしても。