「体育会」の問題・メモ

体育会系に問題が多いの、子供の頃から指導者つきで集団で管理されることに慣れていて、自分で自分を律せないタイプがかなり混ざっているのではないかと思う。彼らは指導者の前では規律を守るいい子達なんだけど、誰も統率しない集団になると、途端にならず者っぽい振る舞いになるのよね。
ねえね 


だから仲間内だけのノリで遊んでいるうちになぜか悪い方の行為をエスカレートさせて、最終的に被害者出して新聞に乗る羽目になるんじゃないかと。仲間と合わせて競うだけの行動指針で結果が悲惨なことになるまで自分達では止められないのでは?


この致命的な欠陥、大人の前では現れないから、周りの大人も多分これには気がついてないのかもしれない。大人の見張ってる場所では彼らは礼儀正しいから。私、駄菓子屋のおばちゃんやってたから、スポーツ少年達の指導者つきの時の顔とプライベートで仲間と連れ立ってる時の顔、両方知ってるんだよね。1人では店には来れない子も多かった。

それは同種の人間しか見てないからそう見えるんじゃないだろうか?私が駄菓子屋やってる頃、ぞろぞろ集団でやってきて、仲間とだけで勝手に盛り上がってる迷惑な子供客ってスポーツクラブ所属の子供達だけだぞ。他にも迷惑なタイプは各種いたがいつも同じ集団で周り見てないのはその子達だけだった。


多分何も気がつかなければ彼らは身体が大きくなっても行動様式は変わらないんじゃないかと思ってる。小学校高学年ぐらいである程度どっちに向けて発達するかは見えてくるのだから。社会って平均的な公立小学校の6年のクラスがそのまま成長した感じの組み合わせで出来てると考えた方が一番納得がいく。



「大人って小学校のクラスメンバーがそのまま成長しただけのもの」ってのは大人になって同窓会行くとよくわかるよな。ベースの行動様式はそのままだから。そう考えると「スポーツクラブの子供の行動様式」は早めに問題に大人が気がつかないとマズいんだよな。仲間だけ見て周りが見えない大人になるってことは統率者がいない場所で集団で羽目を外し過ぎて取り返しのつかない事件を起こす可能性があるんだから。仲間がやめないことにお互いが釣られてしまう。


体育会系によく起こる集団暴行事件、あれはお互い誰もやめないからその方向に何も考えずに全員で行動を「盛って」しまうから起こるタイプの事件で、原因は彼らの行動が全部「仲間に合わせる行動様式」になってるからなんだと思う。


これを「体育会系への悪口」だと解釈する人は多分別のものに対しても話を読み違えるような気がする。「現状の問題への指摘を公の場で言う」ってのは悪口ではなく「警鐘」なんだ。仲間内の問題を仲間内で言えばそれは悪口に聞こえるのだろうけど。それも良くない方の仲間と一緒にいる時。


社会に向けての警鐘と、自分の身内が身内の悪口言った時との反応が同じって人、どれだけ狭い世界に自分が閉じ込められているのか、多分全くわかっていない。Twitterの中ですら自分の耳が痛い話に対して威圧的な文体で言葉送りつけるようなことしてるんだから。自分の行為を客観的な視点で見てない。