フェミは宗教・メモ

 例のシャブ牧師の件で「何でフェミって萌え絵で発狂する癖にこういう時声を挙げないの?」って言説出てるけど、フェミを宗教と考えると説明つくんだよな。


 「フェミ」を信じれば男も仲間だけど、信じてない/距離を置いてる女性は異教徒だから敵。異教徒がどうなろうが知ったこっちゃないが、萌え絵は「自分および自分と同類が被害(笑)に合う可能性」があり、また「間違った教え」を広めてるように見えるから腹立ってしゃーないと。敵対宗教の経典燃やすのも偶像を破壊するのも宗教ではよく見られる現象だ。この世から抹消したがってるのも説明がつく。


 ついでにフェミがしょっちゅう内部で「真のフェミとは」「あなたは真のフェミではない」と遣り合ってるのもこれまたわかる。宗派の分裂も対立もまさしく宗教の華。

 まあ、ここにきて世間一般その他おおぜいのレベルでさえも、ああ、要はこういう宗教ないしはカルトみたいなもんなんだな、ということをこの上なくわかりやすく見せてくれているのが、昨今の本邦フェミニズムフェミニスト界隈のムーヴではあるのだが。

 ただ、単にいわゆる宗教の類とだけで片づけてしまうと、より的確な問題の部分がそのままにされる懸念はあるわけで。また、それって政党や政治的な集団のムーヴとどう違うん?、といったあたりのことも、また。いわゆる「運動」系の問題に関わる部分。

 昨今、ある集団や組織、それ以上に単なる個人でもそうなのだが、本邦世間が違和感や不信感を抱く大きなポイントというのは、要するに、ダブスタ二枚舌ご都合主義なところ、なのだと思っている。しかもそれが多くの場合、やってることと言ってることの乖離、として認識されることで発動されていて、単にやってることだけならば、あ、そういうやつね、で片づけてしまえなくもないところが、それが普段の言動、しかも往々にしてものすごく大文字主語デカな「正論」だったり「きれいごと」だったりする水準で推移してたりするから、その間のズレが一気に違和感不信感のスイッチを入れてしまうという印象。

 個人的なことは政治的なことである、とか何とか、そういう能書きを盾にしながら、あらゆるおキモチをいきなり主語デカ無限大近辺にまでもってゆく、そういうことばの作法が、実はその「宗教」「カルト」と言われてしまう内実の核心かもしれないわけで。