パソコンショップの時代・メモ

 なるほど、今、話をしていて、そもそも当時はパソコンショップなど恐ろしく少なく、学生はみんな貧乏だから、そこの店頭展示品でプログラミングをしていた。そして、そのPCショップがソフトハウスとしてテイクオフしていった、というプロセスそのものが想像できないわけだw


 NECがTK-80が大ヒットして、一般にまで想像を超えて売れてしまったために、サポートのために慌ててBit-Innというユーザーサポートの場所を立ち上げるんだけど、そこがたちまちマニアの巣窟になった、なんてこととか想像もつかないわけだw


 こういうオーラルヒストリーをちゃんと残しておかないと、全く何もわからなくなっていくなw


 約40年前、当時のPCショップでは置かれているPCに一日中マニアが張り付いて、自作プログラムを書くのが当たり前の世界だったんですよw当時からいる人間のかなりはそういうPCショップ出身だよw


 僕はモロにそういうところの出身。僕の知り合いも普通にそういうの出身だよw ハドソンのメンバーだって社員番号50番以下は多分、ほとんどそういう人たち。


 自分のPCのルーツはどこにあるかと人に聞かれたら、京都の寺町のヒエン堂と、ニノミヤ無線の4Fだよって話に本当になるw ハドソンのメンツならCQハドソンの2Fのマイコンプラザコスモスってことになるだろうw


 考えてみたら、もはやパソコンがパーツコーナーの出身だってこともわからないよね。当時のラジオとかを自作するための部品のコーナーにワンボードとして「マイコン」は現れるんですよ。だから抵抗だの汎用ICだのと一緒に売られていたんですよ。ヒエン堂なら1Fの一番奥。ニノミヤ無線なら4Fw


 わての周辺にはこの手の電気屋の店先出身の今では会社でエラい人が普通にいますよw

 凄い歴史があったんですね…😅ボクは1985年PCデビューの中学の頃なので、PC-8001以前のPC黎明期の事実に、すげえーという驚きです。
ボクの周りでは1984年頃にPCを所有し始めた頃で、ボクの環境下では1985年以前のPCやアーケードゲームなどの情報、雑誌など知る由が無かったです‼️

 85年と言うと、もうPCが実用品になっていて(ワープロやマルチプランによる事務)、もしくはホビーPCとしてゲームがあって、一般の人が普通に買いに来る、電気屋の花形なんですよwだから「マニアが一日いて、好きにプログラムをしていい」なんて環境はなくなっていったわけですw

 1982年頃自分は電気屋さんの展示機を長時間使っていたら店長さんにそんなに興味あるなら一声掛けてくれれば使っていいから打ち込んだゲームをテープに残してね。それとプログラムの勉強会があるけど行く?と誘われて連れて行って貰ったことがありました。おおらかな時代だったと思います。

 なぜショップのPC(当時の名称で言えばマイコンか)に張り付くかというと、学生が自分で買うにはまだ高すぎたから。で「ナイコン」という言葉があったりしましたっけ。私の主戦場は渋谷西武B館だったかな。PETが2台だったか?置いてありました。特定の店員には目の敵にされたりとかいろいろ。

 中学生の時に近所の電気のロケットの店頭PCを使うために入り浸りでした(笑)

 そもそも初期のPCゲームはプログラム手打ちが基本でパッケージ販売はハドソンさんやソフトバンクさんが広めた感じでしたね…
雑誌にコードが掲載されてて完成品がTAKERUで売られてるとかもありました…