投票に行かない理由・メモ

鍵RT:投票に行かない人は、決められた指示に従いますよ、という人なんだと思う。文句を言ったり何かを変えたりするより、上からの命令や指示に従うことの方が、日常を穏やかに過ごせるわけじゃない?今の大多数の社会環境は。


鍵RT:だってもう幼稚園や小学校から、会社に行くまで、ほとんどの人は、大多数の人は、言われたことをその通りにできることを求められて教育されてきてるじゃない。今の現状を変えるために立ち上がって声をあげる人なんて、かげで失笑されたりするじゃない。


鍵RT:だから、ちょっとしたブームが起これば安心してそれに乗る人と、投票にいかない人とは、実は根本的には同じなんじゃないかなって思うのよね。みんなが選んだ人でいいよー、みたいな。


鍵RT:だから、投票に行こうなんてフレーズもまったく響かないよ。上からおりてくるものに賛成なり反対なりの意見を出すことをこれまでしてきてないし、許されてもないのに、投票行って選ぶなんて怖くてできないんじゃないかな。

だから、いわゆる同調圧力的なものにあまり依拠しない自分のタイムラインの方たち、クラスタの方たちは多くの人が投票に行ってるけど、世間では投票率が低いという色合いの違いもそういうこととしてイメージしやすい。


続き 鍵RT:もしかしたらツイッターで呟くことと投票行為には相関があるかもしれないよ。ツイッタランドの人たちは、とりあえず好きなことを好きだと言ってもいいって知ってるし、周りが皆同じ意見じゃないってわかってるし、世の中がかわるわけじゃなくてもただ意見を表明する、ということに慣れてる


陰謀論的な言い方をすると、
国民が政治や選挙に関心を持たない方が、
国民が自由民権運動を通して獲得してきた投票権を行使しない方が、
「トク」をする人たちにとっては、「知らしむべからず」とすることが妥当。

知人は教育で取り上げるべきだと言っていたが、いまのこの国がするとは思えない。むしろ積極的に避けてくるだろう。現代社会の授業で習うのは、日本の国会は議院内閣制である、参議院衆議院の違い、天皇陛下は象徴である、というだけ。高校三年生は政治の話題を一切されないまま投票権が与えられる。


同調圧力と、挑戦して間違えることを恥とする空気とを混ぜると、とても「扱いやすい」ように教育できるということかな。

間違えないように教育する傾向はあると思う、学校で子供たちは間違えないことを意識してる感じはする。間違えたらその場で全力でリカバリーすればいい、どうにでもなる、といつも伝えようとはしてる。


「自分ひとりでは、『正しい』選択をできないかもしれない」という不安に対するもう一つのアプローチは、
「ひとりひとりは『正解』など出せなくても、バラバラの判断主体のそれぞれ別個の判断を総合してバランスがとれるようなシステムを作れば、全体としては大ゴケしないはず」という多様性への信頼


言い換えると、それは自分と異なる考えや、異なる性質を持ったヒト集団全体の複雑さを信じるということになるのかな。

だからこそ、過度の同調圧力や群集心理にはブレーキが必要と思うところです。

私、参院選大分選挙区の投票先を決めたのはたまたまラジオで聞いた政見放送のなかで「意見が食い違っていてもお互いの主張を尊重しあいながら最善の選択をしていこうではないか(うろ覚えだから言葉は違うと思う」」という主張を聞いたから。


「同じである」ことに安心するのもヒトの性質だけど、
「ちがいがある」ことを安心のベースにすることも、同じくらいか、それ以上に大事なんじゃないかと思います。