日米の「工業化」比較・メモ

 日本の当時の航空産業は国内の最先端工業のフラッグシップで1930年代からは国産を勧めながら三菱や中島などが中心になって技術開発を行ってそれを協力会社や下請けにトップダウンする事でピラミッド型の技術伝承と発注を行なって戦闘機なんかを作ってたんだけども、その受注の9割以上は軍需が占めていて、軍が消費者となる事で技術育成と産業育成のために各メーカーに注意深く生産割り当てを分散させる事で低コストで確実な技術育成をしてきたわけだけども、この場合最初から受注できる大枠が決まっているのと、産業育成のために多種多様な機種が発注されたので、戦争中のアメリカと比べれば汎用工作機械で作れる少数多種生産が生産設備に偏重していて、また下請けの部品メーカーも軍需以外の市場が存在していないので自主開発や競争原理が働らいていなかった。


 これらは低コストで一定以上の水準に効率的に持ち上げることには成功するも、多量生産のノウハウの蓄積は乏しく、また需要が少なく小規模な受注しか取れなかった部品メーカーは技術力に乏しくサプライヤーのトップである航空機メーカーが航空機に付随する各種装備品の製造技術の開発もする必要があった。


 比較的需要が少ない開戦前は比較的うまく機能していたこう言った産業構造も、戦争が始まると急激な増産に従来の少数多種に合わせていた製造設備では直ぐに限界を迎え、また少数多種生産の時代は細かい生産転換や仕様変更や改良による変更が多く職人技による組み立てが効率的だったが、そう言った熟練工の育成は時間がかかり直ぐ人手不足に陥行ってしまった、また部品メーカーも急激な増産に追いつかず、また刻々と高性能な部品が求められるようになっても自社で開発するだけの人材も技術も持ち合わせておらず、新型機製造のサプライチェーンの構築に時間がかかっていた。


 そう言う産業構造を是正するため急速な統廃合や規格統一などが進められたが、戦争の需要のピーク時にこの転換による混乱がぶつかってしまい、生産数の落ち込みや急激な品質悪化などを引き起こし、さらに戦局逼迫による徴兵や、物資不足や空襲が追い討ちをかけた。


 一方のアメリカは、他国と比較して旺盛な民間航空需要があり、19世紀から人手不足に起因する製造業の自動化や効率化の研究が進められ、1920年代にはフォードシステムに代表されるような高度な多量生産技術を実用化させていて、航空機製造への応用が可能だった。また、上記に付随していち早くモータリゼーションを迎えていたため、自動車周辺産業が発達し、高度な技術を持った部品メーカーが誕生しており、新機体開発時にこれらの開発リソースを利用する事で、航空機メーカーは機体開発に集中できた。また、急激な増産が求められる中で、いち早く単能工作機械の大量導入により、工場が稼働すると他国を寄せ付けない生産効率を発揮して非常に短時間で航空機を製造できた。特に航空エンジンでは独創と言っても良いほどの量産に成功している。