「地方」の煮崩れてゆく過程・メモ

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 東日本大震災は全国の地方自治にとっても不幸でした。復興名目でやって来た有象無象が味をしめ全国の過疎地に散らばっていった。運悪く剛腕首長不在の田舎が定住人口を諦め交流人口の増加に望みを賭けたタイミングで。田舎は都会からの若者で活気付くかも知れないと期待した。


 小泉改革の後、それでも気を吐いて独自の小国の幸せを実現した少数の老獪な首長が10年代以降続々と引退、代わりに地方自治に入ってきたのがNPOSFC社会学ゼミ、SNS、イケハヤ的楽したい自分探し勢。見かけつるんと小洒落て じじばば住民から上澄みをもらうことばかり熱心。つまらなくなりました。


 剛腕首長の引退、公務員の減少、震災、SNSとソーシャルビジネス、エセNPOの勃興、都会の労働市場から零れ落ちた自分探し勢の増加、若者と交流したい地方の背に腹替えられぬ事情。これらが一気にやって来たのが10年代。まさに「地方の有り様が煮崩れていった」時代。


 調査や取材で自治体を訪問する。小泉改革まではどこの自治体にも首長の懐刀的総務課長がいて、役場各課から3セクNPO、有力者、名物じじばば、頑張る農業者など一括してコーディネートしてくれた。ありがたかった。今はそんな総務課長はいない。役場に人材がいないのだ


 人材不足の自治体に入り込んだのが前記の有象無象たち。


 7年前、徳島県の中山間地で信じられない言葉を聞いた。都会からIターンで移住して来た自分探し風の若者の言葉。「そろそろKMKT町も終わりやと思う。人も増えたしマスコミにも出た。近いうちKMYM町に移住しようと思う」

*1:広義の「社会」「地域」を相手どる学術領域全てに関わってくる〈いま・ここ〉の現実認識。