「誇り高き敗者」理論、真面目に言うとらす人がたもおるのだろう。
だからこそ敢えて言う。その真面目さを信頼して。
それを支える「おはなし」がすでに煮崩れてきとるらしいんや。
ならば、どうして、どのような理由でどのようにその「おはなし」が煮崩れていったのか、を真面目に考えてくれ。
仮にいま、トラやんがその「誇り高き敗者」を演じてみせたとしよう。
あなたたちはそれを「信じて受け入れる」ことができるのか?
それができるだけの「おはなし」をまだ身体張って守る、そういう覚悟や自信が、敢えて言えば「信心」があると胸張って、その良心に誓って言えるのか?
よし、あいつは敗者だ。
敗者だから何をしてもいいんだ。
……そうならない確証は、今のあなたたちにあるのか?