「なつかしさ」と文化史のための記録や資料

 「なつかしさ」とは別なモードになって初めて、文化史や風俗史は成り立つものかも知れない。逆に、「なつかしさ」を駆動させておかない・おけないジャンルだと、資料が失われやすいのかも知れず。このへんパラドキシカルに思えるかも知れないが、案外見逃されているポイントかも。

 「なつかしさ」が素直に同時代の気分として稼動している間は、直近の記録が残されやすいのに対して、それが一定の期間を過ぎ、「なつかしさ」を親身に覚える世代が世の中から退場し始めるようになると、それに比例して残される記録のタイプも変わり、またそれら記録に対する意識の仕方も変わってくるような。このへん、「現代史」というもの言いに関連してこれまでもあれこれ議論が繰返されてきたあたりのこととも関連するかと。「歴史」はどこから始まるのか、またあるいは、どこまでが「現在」でそこに「歴史」はどのように介在し得るのか、とか。

 「歴史」のための資料、記録の類の残り方、残され方が変わる潮目みたいなものがあるんだろうと思う。「なつかしさ」という気分が自分ごととして、ひとりの人間の極私的な体験や見聞を介して立ち上がるものだとして、それを駆動力として何ごとかを記録したくなる仕組み。「なつかしさ」を介して記録された資料はもちろんその後、記録は記録として存在してゆくわけだが、ただそれが当初記録された時の記録主体との「関係」によって意味づけられていたような意味あいで存在し続けられるわけでもない、と。客観的なブツとしては同じでも、それを記録した当初の意味あいは極私的な「関係」を介しての「なつかしさ」がそこにあったということ、そしてそれはその記録なり資料の初発の意味あいを規定しているのだけれども、ただそれは時間の経過と共にそれら初発の意味あいは褪色させられてゆき、ひとまずフラットなブツとして存在するフェイズに以降してゆく。

 このへん、資料とそれを「読む」側との「関係」、およびそれによって変わってくる意味づけの問題ということになるのだろうが、このような視点からの資料論なり「歴史」像の形成過程といった方向からのお題の出され方というのは、どうなんだろう、近年の本邦日本語環境での歴史「学」界隈では意識されていたりするのだろうか。あるいは、海外の広義の「歴史」をめぐる学術研究の状況なども含めて、どうなんだろう。

 そう思ってみると、YouTubeにあげられている「昔の映像」のあげられ方にも時代差があるようで、世相風俗風景的な興味関心からのものは概ね80年代あたりまでで、それ以降の時代の映像は音楽やゲームなどを糸口にした素朴な「なつかしさ」任せの演出になっているような印象がある。このへんの違いをどう方法論的な水準で反映させてゆくのか、ゆけるのか、というのもおそらく、変わりつつある情報環境における「歴史」のあり方を考える上でひとつ、立ち止まってみてもバチはあたらないところだと思う。

 研究機関であれ博物館であれ、いずれそのような「歴史」を介して〈いま・ここ〉と関わろうとするのならば、ひとまずあらゆる局面で「記録」を残すこと。文書はもちろん録音も録画も写真もメモもできる限りの範囲で。そしてそれらを整理分類して「使える」ようにメンテナンスしておく。そのような使命が最低限、要所要所で何らかの施設に課せられるようになるのがはじめの一歩ではあるだろう。それは単にその組織を維持し守る意味だけでなく、そもそも社会的な公共的な責任に応える意味でも。そのような認識が「約束ごと」として最も基本的なところで共有されていて初めて、その後の「制御」――つまり、それらの「情報」を取捨選択してその要求される文脈に従って広義の「おはなし」に編集してゆくこともまた、社会的・公共的な営みになってくる。その前提が共有されていないと、後段の「おはなし」構築も単なる捏造だったり虚偽のでっち上げだったり、それ以上の社会的・公共的な営みとしての抑えが効かないままに垂れ流されることになる。

 日本語を母語とする環境でのいわゆる人文社会系の学術研究的な営みに対する信頼感の煮崩れ方は相当に深刻になっている。その信頼を回復するためには、迂遠に見えてもこのような視野から、「歴史」ということそのものの洗い直しをしてゆくことが必要なのだと、外道ながらに深く感じている。