資料/記録/資源と「現実」

 「社会」「歴史」その他いずれさまざまに分節されているわれわれの「現実」は社会的な資料/記録/資源によって編制されている。それらはわれわれの側から働きかけて意味づけることで初めて資料/記録/資源として存在し始める。だから〈それ以外〉の領域も必ず同時に生まれ続ける。

 こちらから働きかける「べき」資料/記録/資源を全て残しておくことはできない。だから「現実」には常に〈それ以外〉が附随している。

 逆に、限られた資料/記録/資源しかない環境でも、それらに働きかけるこちら側の意味づける文脈が変わればそれらはまた異なる様相、それまで知らなかったありようを平然と眼前に現出してきたりする。

 だから、「現実」は常に変わり続け得るし、それら変わり続ける「現実」に即してその時代その環境においてまた新たな資料/記録/資源が生産されてゆく。

 〈それ以外〉の領分を常に留保しながら、とりあえず今取り扱える資料/記録/資源に関わってゆくこと。ガクモンの間尺で言うなら人文社会系の角度から「現実」に関わろうとする場合の最前提のひとつ。